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輪島さん 673個の金色風船に送られて旅立ち 最期は「自宅のソファーで眠るように」

<輪島大士さん告別式>大相撲通算673勝にちなみ673個の輪島さんのシンボルカラーの金色の風船に見送られ青山葬儀場を後にする輪島さんの棺をのせた霊柩車(撮影・郡司 修)
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 8日に70歳で亡くなった大相撲の第54代横綱・輪島の輪島大士(本名輪島博=わじま・ひろし)さんの葬儀・告別式が15日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。日本相撲協会の八角理事長(55)、原辰徳氏(60)、デーモン閣下、錦野旦(69)ら相撲界、スポーツ界、芸能界、政界などから約300人が参列した。

 喪主を務めた妻の留美(るみ)さんは「主人は大きくて、優しくて、強い人でした。また自由で、自由すぎて大丈夫かと思うことばかりでしたが、皆様の支えがあり、お許しいただき、ここまで生きてこられました」と参列者に感謝。「最後は自宅のソファーでテレビを見ながら、静かに眠るように座ったまま、亡くなっていました。ご迷惑をおかけすることも多かった人生ですが、最後は一人で誰にも迷惑をかけず、静かにとてもいい顔で眠っておりました」と最期の瞬間を語り、「賑やかなことが好きだった主人ですので、本日、皆さんにお集まりいただいて、さぞ喜んでいることと存じます」と涙ながらにあいさつした。

 輪島さんの現役時代に後援会長だった、加賀屋グループの会長、小田禎彦氏が葬儀委員長を務めた。輪島さんとは50年以上の付き合いとなるといい、輪島さんは「郷土の英雄」。「喉の手術をしたから、電話での(交流は)不可能になりましたので、ずっと気にはなりながら、連絡を取る機会が少なくなっていましたので、ああいう華やかな人生を歩んできた男ですから、ちょっと声がでない時に、人様の前に出たくないという気持ちはあったんだろうと思う。そんな中でちょっと疎遠にはなってしまった」と回顧した。輪島さんには「頑張ったじゃないか、いい人生だったじゃないか」という言葉を送りたいと話した小田氏。「(輪島さんの出身地の七尾市)石崎町の皆さん方に、偉大な横綱がこの街から生まれたんだと、七尾市や地元の若い人たちにもっと知らしめないといけない」という思いから「輪島の足跡、努力してきたものを伝えられるようなものが何とかできれば」と記念館のようなものを作る考えを明かし、来年の8月3日の能登キリコ祭りの際に何らか形で示したいとした。

 輪島さんの出棺の時間が近づくと、それまでの曇り空からポツリポツリと雨が降り注ぐ場面も。“黄金の左”“金色のまわし”で知られる輪島さんらしく、約25メートルの金色のじゅうたんが敷かれ、親族に加え、デーモン閣下、原氏らに抱えられた棺は霊柩車に運び込まれた。クラクションの音とともに、通算673勝にちなみ、673個の金色の風船が空に放たれ、輪島さんのデビュー曲「望郷賦」(1978年)で見送った。ファンからは「輪島〜!」と声がかかり、最後まで名残惜しそうに手を振る姿も見られた。

[ 2018年10月15日 14:13 ]

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