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王様ペレよ、永遠に W杯で唯一3度優勝果たした王国の10番、メッシvsエムバペ“新伝説”見届け天国へ

[ 2022年12月31日 04:30 ]

70年、W杯メキシコ大会で優勝し、仲間から担がれるペレさん(AP)
Photo By AP

 サッカーの元ブラジル代表で「王様」として世界中のファンに親しまれた往年の名選手ペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)さんが29日、大腸がんの進行などによる多臓器不全のためサンパウロの病院で死去した。82歳だった。W杯でただ一人、3回優勝を経験して史上最高の選手といわれた。

 サッカー王国が悲嘆に暮れた。11月29日の再入院から1カ月、ペレさんが息を引き取った。昨年9月に大腸腫瘍の摘出手術を受け、化学療法を受けるために定期的に入退院。病状は進行し、ファンの前に再び元気な姿を見せることはなかった。

 1940年10月に南東部ミナスジェライス州で生まれ、15歳でサントスに入団した。1メートル74と決して大きくなかったが、抜群のバネや身のこなしで高い技術を生かして16歳で代表デビュー。W杯は1958年スウェーデン大会で初出場し、17歳239日だった準々決勝ウェールズ戦で決めたゴールは64年が過ぎた現在も大会最年少記録として残る。準決勝フランス戦で最年少ハットトリック、スウェーデンとの決勝にも最年少で出場して2得点した。中でもゴール前で相手選手の頭上にボールを浮かせてすり抜け、右足で蹴り込んだ一撃は伝説を彩るにふさわしく「胸でトラップして(そのまま)シュートしようと思ったが、私の強みであるひらめきでとっさに決断を変えた」と回想。ブラジルに初めて「世界一」の称号をもたらし「サッカー王国」たらしめる存在になった。

 62年チリ大会でW杯連覇。70年メキシコ大会まで出場4回で優勝3回の輝かしい記録を残した。左右両足の巧みな技術と高い打点のヘディングに局面を打開するビジョン。交代制度がない時代には負傷退場したGKに代わってゴールを守るなど万能ぶりを発揮した。

 77年の現役引退後は指導者にならず、サッカーの枠を超えたスポーツ界の象徴として活動。抜群の知名度を生かして国連児童基金(ユニセフ)など世界各地で社会貢献活動に従事し、95~98年にブラジルのスポーツ相を務めた。今年6月にはウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領に停戦を呼びかけた。

 闘病中に迎えたW杯カタール大会に関してもインスタグラムで積極的に発信した。アルゼンチンの優勝決定時は「おめでとう。ディエゴ(マラドーナさん)も笑顔のはずだ」と祝福。「サッカーはいつものように魅力的に物語を語り続けている。サッカーの未来を映し出す光景を見られたのは何と素晴らしい贈り物だったことか」と思いをつづった。W杯に最も祝福されたスーパースターにふさわしい別れの言葉だった。

 ≪棺は古巣・サントスに≫ペレさんの棺は23年1月2日、サンパウロ州サントスに本拠を置く古巣のクラブ、サントスのホームスタジアムに運ばれる。同日午前10時(日本時間同日午後10時)から24時間、市民の弔問を受けるという。

 ペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)1940年10月23日生まれ、ブラジル南東部ミナスジェライス州出身。15歳でサントスに加入。17歳で初出場した58年W杯で6得点して初優勝。62、70年大会でも優勝。74年まで在籍したサントスでは国内リーグ6回、リベルタドーレス杯2回、インターコンチネンタル杯2回優勝。75~77年はニューヨーク・コスモスでプレーした。ハットトリックは生涯92回。

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2022年12月31日のニュース