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森保監督 突破率0%からW杯切符「ドーハの悲劇」が攻めさせた90分「自らつかみにいかなくては」

[ 2022年3月25日 05:30 ]

カタールW杯アジア最終予選B組   日本2―0オーストラリア ( 2022年3月24日    シドニー )

<日本・オーストラリア>W杯を決め喜ぶ森保監督(左)と日本代表イレブン(撮影・小海途 良幹)
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 最後まで攻めた。森保監督にドローの選択肢はなかった。後半39分、三笘を投入。「点を取ってこい!」と背中を叩いた。勝ちにいく――。チーム全員に伝えたメッセージだった。「苦しい戦いばかりだった。全ての日本代表ファミリーと喜びたい」。かすれた声に強い意志が宿っていた。

 脳裏には「ドーハの悲劇」があった。29年前、土壇場でイラクに同点弾を決められ、W杯を逃した。「夢のかかった場面でゴール前で守りに入れば守れるのでは、と守りに入ってしまった。自分たちでつかみにいかなくては」。悲劇を繰り返さないために、攻め抜いた。08年以来、ホームで不敗の難敵に土をつけてみせた。

 序盤に2敗し、進退問題が隣り合わせの最終予選だった。「毎試合、監督の道が続くのか終わるのかの岐路だった」。日本協会にも覚悟を伝え、腹をくくった。転機は昨年10月オーストラリア戦。4―4―2から4―3―3布陣に変更し、一変させた。最後は6連勝。発足からW杯まで勝ち抜いた初の日本人監督となった。

 かつては「3バック」が代名詞も、岡田武史氏から役割が固定化する4バックの方が柔軟に戦えると聞き、ヒントを得た。4―3―3は10年W杯16強の岡田ジャパンがモデルだ。18年に出会ったカナダ代表のハードマン監督からも4バックの方が日本人の賢さが生きると指摘され、武器を確信した。

 誰もが認める実直な人柄。昨年11月に会食したカズは「昔から真面目、何も変わらない。髪形も変わらない」と笑う。一方でピッチに立てば頑固一徹、芯の強さを見せた。都並敏史氏は、時にラモス瑠偉氏の指示にも耳を貸さなかった姿勢を懐かしむ。勝利の道と信じれば、テコでも動かなかった。

 長崎日大高時代、腕を骨折しても風呂場で石こうを溶かし、試合に出場した有名な逸話がある。勝てば選手の手柄、負ければ監督の責任という指揮官には熱い勝負師の血が流れる。「目標はW杯で16強の壁を破ること。大和魂をお見せする」。あの悲劇から29年。森保監督が因縁のドーハに帰る。今度は「歓喜」を目指して。

 《「3戦2敗」からは初》日本は今予選最初の3試合で1勝2敗の勝ち点3。アジア最終予選で過去に開幕3戦2敗から突破した国はなく、今回の日本が初めて。なお、勝ち点としては、14年大会予選のオーストラリアが3試合で勝ち点2から逆転して突破した例がある。また、昨年10月のオーストラリア戦から、W杯アジア最終予選の最多を更新する6連勝とした。また同11月のベトナム戦からは5戦連続無失点。10年南アフリカ大会予選の4試合を抜いて最長となった。

 《初出場から7大会連続は世界2位》日本は初出場の98年大会から、開催国だった02年大会を含めてW杯7大会連続出場を決めた。初出場から7大会連続出場は、第1回から今大会まで出場を決めているブラジルの22大会連続に次いで単独2位。イングランドの6大会連続を抜いた。

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