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「その10人が助かるかもしれない」 両親亡くしたサッカー少年が教えてくれたG大阪・昌子の取り組み

[ 2022年1月17日 07:00 ]

阪神・淡路大震災から17日で27年

11年3月、被災地の保育所を訪れ、園児と触れ合う(左から)FW興梠慎三、小笠原満男、DF昌子源(当時、鹿島)

 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から17日で27年となる。G大阪DF昌子源(29)は、神戸市北区の出身で2歳の時に被災。本紙の単独インタビューに応じ、防災への備えの必要性を改めて訴えた。

 唇をぐっと噛んで天井を見上げた。あふれそうになるものをこらえた。「僕たち少しでも名が通ったアスリートにできることは、こうして取材を受けて、伝えて、少しでも風化させないようにすること」。昌子は声を震わせながら、奪われた命に思いをはせた。

 1995年1月17日、午前5時46分。阪神・淡路大震災の発生当時は2歳だった。まだ物心がつく前。住んでいた神戸市北区は震度6の揺れが計測されたが「何も覚えていない」という。のちに両親から伝え聞いた。発生直後、両親が寝ている昌子と4歳の姉の上に覆いかぶさり、必死で守ろうとしていたことを。ライフラインが途絶え、寒さと未知なる恐怖に襲われていたことを。自宅が破損し、その後に引っ越したことを。就学後は震災の出来事を学び、町のあちこちで燃えさかる炎や高速道路から落ちかけたバスなどショッキングな資料写真も目にした。

 だが震災の恐ろしさを知ったのは、それから16年後だった。2011年3月11日の東日本大震災。「当時、僕は鹿島1年目。東北の方々に比べると被害は少なかったけど、鹿嶋市も被災地認定されました」。鹿嶋市も震度6を計測。体感したことのない揺れ、浸水したクラブハウス…。被災地訪問した時、幼き日に自身も経験した自然災害がいかに多くの人を奪ったかを痛感した。

 「アウェーの仙台戦後に被災地を訪れて、そこの子どもたちとサッカーをしたんですよね。その中である子は両親を震災で亡くしたと聞いたんです。その子は笑顔でボールを蹴ってくれていたけど、その背景にあるつらさはどれほどのものだろうか。その経験がない僕には本当の意味で分かってあげられないと思います。でも今も心に刻まれています」

 自然災害が起こらないのが一番だ。でも人間が自然をコントロールすることはできない。今できることは起きた後に「被害を最小限に留める最大限の準備をする」こと。昌子家には非常食などが詰められた防災グッズを2つ、500ミリリットルの水36本を備蓄しているという。さらに住居に設置された消火器の位置、ベランダに備え付けられた避難はしごの使用法、避難経路の確認もしている。

 「直接、被災した経験があるとは言えないので僕が伝えるのは難しいと思います。批判も受けるかもしれないし、もしかしたら10人にしか届かないかもしれない。でも、その10人が助かるかもしれない」。伝えていく役割は今後も担っていくつもりだ。(飯間 健)

 ◇昌子 源(しょうじ・げん)1992年(平4)12月11日生まれ、神戸市北区出身の29歳。小4からFCフレスカ神戸でサッカーを始め、G大阪ジュニアユース、米子北高を経て11年に鹿島に入団。19年1月からフランス1部トゥールーズへ移籍。20年1月にG大阪へ加入。18年W杯ロシア大会代表。日本代表通算20試合1得点。1メートル82、76キロ。

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