×

3チームで7度の優勝…加茂周氏、監督人生は天皇杯とともに

[ 2021年1月1日 12:15 ]

加茂周氏
Photo By スポニチ

 天皇杯は7度優勝したが、元日の国立競技場で優勝カップを掲げるのは何度やっても気分がいい。初めて優勝したのはヤンマーのコーチ時代の69年元日で、2年後の71年元日にも優勝した。FW釜本邦茂やMFネルソン吉村の絶頂期でメンバーがそろっていた。日産の監督となり、初優勝したのは84年元日で、コーチ時代とは違う、格別なうれしさがあった。ちょうど79年の世界ユース選手権日本大会に日本代表として出場したMF水沼貴史やFW柱谷幸一、DF田中真二、越田剛史らが入ってきた年で、MF金田喜稔や木村和司らと融合していいチームができた。86年、89年と3度優勝、3度目の88~89年シーズンは日本リーグ、リーグカップと合わせて3冠を獲得した。この年で監督をオスカーに譲り、総監督になったが、翌年も2年連続3冠を獲得した。最後は横浜フリューゲルスに移った94年元日。Jリーグ初年度だったのでよく覚えている。意識はしていなかったが、言われてみれば100回を迎える大会のうち3チームで7回も優勝に関わったことになる。

 元日の国立のピッチに立てるのは日本で2チームだけ。一度味わうと忘れられない光景で、「今年も元日の国立に行こう」と、自然とモチベーションが高まる。一発勝負なので、運も必要。当時は短期決戦だったので、勢いを重視し、難しく考えずにそのときのチーム状況を見て、何か一点に集中させるようにして戦った。選手に一体感が出れば運もこちらを向いてくるものだ。それに当時は会社も協力してくれて、銀座東急ホテルに泊まり、ステーキを食べさせてもらったり、コンディションを整え、モチベーションを高める環境も整っていたと思う。

 チーム作りは苦労も多いが、結果が出ると報われる。天皇杯で優勝できたことでチームが勝ち方を覚えて、リーグ戦でも優勝できるようになった。そういう意味では天皇杯の優勝があったから、私の監督人生もあったと思う。(元日本代表監督)

続きを表示

この記事のフォト

2021年1月1日のニュース