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25年ぶりG大阪復帰の和田昌裕取締役 神戸など監督経験者らしい黒子に徹する縁の下の力持ち

[ 2020年11月18日 05:30 ]

神戸監督時代の和田氏

 スポットライトを浴びる選手の陰には、必ず支える人がいる。その道一筋の職人や、選手から転身した人などバックボーンはさまざまで苦労も人それぞれ。サッカー界の縁の下の力持ちに注目する「ピッチ外のスペシャリスト」を紹介する。

 J元年の1993年5月16日、リーグ開幕の浦和戦でG大阪のクラブ第1号ゴールを挙げた。95年に神戸に移籍し、引退後は神戸や京都、タイで監督や強化部長を歴任。そして今年、25年ぶりに強化アカデミーを統括する取締役として復帰した。和田昌裕氏(55)は今、“縁の下の力持ち”として古巣を支えている。

 当初は「今後を考えたときにG大阪に戻るというイメージはなかった」という。だが昨年末、当時副社長の小野忠史氏(59)に「手伝ってくれんか?」と打診され、心が動いた。今年4月に社長に就任した小野氏との出会いは松下電器(現パナソニック)時代の87年。PL学園野球部で全国制覇した小野社長と、順大で大学日本一になった和田氏は馬が合った。

 信頼を寄せる先輩からのオファーはうれしかったが、当時J2金沢の強化アカデミー部長を務め、すでに20年シーズンに向けた契約延長にもサイン。道義上、1度目は断った。だが関西に残している家族のことも考え、金沢サイドに相談。すると「任せるよ」と背中を押してくれた。「金沢にもG大阪にも感謝しかない」。自らの経験を惜しみなく古巣に注ぎ込む決意を固めた。とはいえ、そこは和田氏らしさが凝縮されている。

 「GM的な立場の人と強化部長の両者がいるクラブはある。でも強化部長こそがチームとして向き合って、管理していくのが大事だと思っている。僕がしゃしゃり出ていくのではなくチームは松波(強化アカデミー部長)が見て、僕はサポートしていくようにしている。ミスはナンボでもしてくれていい。僕が支えるから。そういう思いでやっている」

 トップチーム、U―23チームの練習は当然、時間が許せばユースの練習や試合にも顔を出す。だが、あれこれと口出しすることはしない。聞かれればヒントを与え、ちょっとしたアドバイスや経験を伝えることにとどめる。「常に表舞台には出たい」と笑うが、黒子に徹するのは長年サッカー界に身を置いた中でできあがった哲学があるからだった。

 ◆和田 昌裕(わだ・まさひろ)1965(昭40)年1月21日生まれ、神戸市出身の55歳。兵庫・御影高から順大。87年にG大阪の前身である松下電器(当時JSL2部)に入団。90年に日本代表に選出(出場なし)。95年に神戸(当時JFL)へ移籍。J昇格に貢献し、97年に現役引退。神戸で強化部長や監督、チョンブリFC(タイ)やJ2京都の監督などを経て17年からJ2金沢の強化アカデミー本部長を務める。

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2020年11月18日のニュース