×

横浜DF中沢、現役引退を正式発表「1ミリの後悔もなく」

[ 2019年1月8日 09:08 ]

横浜・中沢
Photo By スポニチ

 横浜は8日、元日本代表DF中沢佑二(40)が現役引退すると発表した。昨年8月にGKを除くフィールドプレーヤーでは歴代最多だったリーグ戦連続出場記録が199試合、連続フル出場が178試合でストップしていた。チームによると引退会見などは行わない。

 中沢はチームを通してコメントを発表。「2018シーズンをもって現役を引退する決断を致しました」と切り出し、「自分の思いを整理した中で、やはりこのクラブでユニフォームを脱ぎたい、そしてそれが横浜F・マリノスに対して一番の恩返しになる」と説明。「もがき苦しみ、がむしゃらに掴み取ったプロ生活。来年もF・マリノスで現役を続ける選択肢もありましたが、最後は“中澤佑二”らしく、自分の決断を信じ、1ミリの後悔もなくピッチを去ろうと思います」とサポーターに別れを告げた。

 今後については「これからゆっくり考え、また皆さんにご報告出来たらと思います」としている。

 近年は慢性的な左膝痛に悩まされており、シーズン開幕前には「最後の一年」とキャリアの終焉(しゅうえん)が近いことを示唆していた。チームからは新シーズンに向け契約延長を求められたが、潔くスパイクを脱ぐことを決断した。昨季限りで引退したGK川口能活(J3相模原)、MF小笠原満男(鹿島)に続き、一時代を築いた名選手がまた1人ピッチを去ることになった。

 中沢のコメントは以下を通り。

 「私、中澤佑二は、2018シーズンをもって現役を引退する決断を致しました。

 自分の中では、プロ20年目となる昨シーズンを一つの区切りとして考え、全てを出し切るという思いで最終戦まで走り続けました。そしてシーズンを終え、改めて自分の思いを整理した中で、やはりこのクラブでユニフォームを脱ぎたい、そしてそれが横浜F・マリノスに対して一番の恩返しになるんじゃないかなという思いになりました。

 小学校6年生からスタートさせたサッカー人生は30年。プロとしての現役生活は20年。振り返ると、ここでは書ききれないほどの本当に多くの方々に支えていただき、こんなに長く現役生活を続けることが出来ました。

 もがき苦しみ、がむしゃらに掴み取ったプロ生活。来年もF・マリノスで現役を続ける選択肢もありましたが、最後は”中澤佑二”らしく、自分の決断を信じ、1ミリの後悔もなくピッチを去ろうと思います。

 良い時も悪い時も共に戦っていただいたファン・サポーターの皆さま、チームメイト、チームスタッフ、スポンサー各社の皆さま、ホームタウンで支えてくださった皆さま、横浜F・マリノスに関わるすべての皆さま、そして東京ヴェルディに関わるすべての皆さま、本当にありがとうございました。

 今後のことはこれからゆっくり考え、また皆さんにご報告出来たらと思います。20年間、本当にありがとうございました」



 ◆中沢 佑二(なかざわ ゆうじ)☆経歴 1978年(昭53)2月25日生まれ、埼玉県出身の40歳。三郷工技高卒業後、ブラジルへ1年間留学。99年V川崎でプロデビュー。02年横浜に移籍。

 ☆サイズ 1メートル87、78キロ。利き足は右。血液型AB。

 ☆愛称 「ボンバー」は若手時代に目立つためにしていた髪形のアフロヘア(ボンバーヘッド)に由来。空中戦でヘディングに強い意味も。09年からはユニホームの名前も「BOMBER」に。

 ☆代表歴 日本代表として06年W杯ドイツ大会、10年南アフリカ両大会に出場。国際Aマッチ出場は歴代6位タイの110試合で17得点。

 ☆練習生 V川崎の練習生時代、埼玉県内の実家から都内の練習場まで片道2時間、自費で電車を乗り継いで練習参加。

 ☆タイトル プロ1年目の99年に新人王。横浜でリーグ連覇に貢献した04年に日本人DFとして初のリーグMVPを獲得。ベストイレブンは6回受賞。

 ☆ストイック 夜10時就寝、朝6時起床と早寝早起き。

 ☆趣味 18年に引退した歌手・安室奈美恵さんの大ファンを公言。

続きを表示

2019年1月8日のニュース