忘れない―山口蛍 恩師に救われた12年前の春「セレッソに戻りたい」

[ 2018年5月30日 09:00 ]

練習でボール回しに汗を流す山口(右)(撮影・西海健太郎)
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 C大阪や鳥栖、神戸などで監督を務め、05〜08年にC大阪U―18を率いた副島博志氏(58、現大阪学芸高女子サッカー部監督)には耳に残っている言葉がある。

 「蛍、もうええんとちゃいますか?」

 06年の春、同U―15からU―18への昇格が決まっていた山口蛍(27=C大阪)は突如、中学の卒業式前から練習に来なくなった。4月になって大阪の高校に進学してからも現れず、副島氏の周りには退部やむなしの雰囲気があった。

 「携帯に電話しても出ない。メールをしても返ってこない。でも、エラーがある世代なんで。道を外れても待ってあげようと思った」。そう副島氏は当時を振り返る。小学4年時に両親が離婚し、父子家庭で育った山口。中学からC大阪の育成組織に進み、三重県名張市から片道2時間近くをかけて練習に通っていた。その反動が出たのか、中学を卒業するタイミングで地元の友だちと遊ぶことに熱中するようになった。

 1カ月を過ぎても状況は変わらなかった。そんなとき、同学年の丸橋祐介(現C大阪)らが副島氏のもとに「蛍、辞めるんですか?」と聞きに来た。「辞めるも何も、俺は待っているんや。連絡も取れていないから、お前らが取ってくれ」。中学1年から一緒に戦ってきたチームメートからも届いた復帰を願う声。15歳は心を動かされ始めていた。

 「そろそろハッキリさせなヤバい」と感じていた父・憲一さん(51)が開いた、3歳年上の兄・岬さんとの家族会議。父がそれぞれの進路を問うと、岬さんは「サッカーでブラジルに行きたい」と言った。それに対し「行け行け」と勧めた憲一さんは「お前はどうしたいねん?」と蛍に聞いた。「セレッソに戻りたい」。ようやく出た答えだった。

 「無口で寡黙で、黙々とやる子。4月末に練習に戻ってきたときも“すいません”ぐらいしか言わなかった」。そう笑った副島氏は「これだけ周りに迷惑を掛けたから、お前はプレーと行動で示すしかないよ」と声を掛けたという。それからはU―18の練習を1日も休まず、守備力と運動量を飛躍的に向上させてボランチとしての礎を築いた山口。恩師や仲間に助けられた12年前の春――。多くの人の思いを背負い、自身2度目のW杯へ向かう。

 ◇山口 蛍(やまぐち・ほたる) 1990年(平2)10月6日生まれ、三重県名張市出身の27歳。箕曲WESTSCでサッカーを始め、C大阪U―15、同U―18を経て09年にトップ昇格。12年のロンドン五輪と14年のW杯ブラジル大会に出場。15年12月にハノーバーに完全移籍。翌年6月に完全移籍でC大阪復帰。1メートル73、72キロ。利き足は右。

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