岡崎 清水入団時期待されなかった“8時半の男”が長谷川監督を認めさせた

[ 2016年5月4日 05:30 ]

清水時代の恩師・長谷川監督(左)も岡崎を祝福した

 サッカーの母国で頂点に立った岡崎のキャリアは底辺からのスタートだった。滝川二高から清水入りした05年にスカウトだった興津大三氏(現アーセナルサッカースクール市川GM)は、プロ野球・巨人のV9時代の抑えの切り札・宮田征典投手になぞらえ“8時半の男”として期待していたという。

 「正直、プロでスタメンを張れる選手とは思っていなかった。後半30分以降に出てゴール前にどんどん突っ込んでいく役割。スーパーサブのイメージで獲得しました。ナイターの試合が午後7時キックオフとして、野球の抑え投手ではないけど“8時半の男”ですね」と振り返った。

 清水入団1年目はFW8人中で8番手。当時の長谷川健太監督(現G大阪監督)は紅白戦や練習試合でサイドバックやボランチで起用した。ふてくされても仕方ない扱いだが「どのポジションをやらせても一生懸命やる。何が足りないか分かって、オフの間にトレーニングしていた。何に対しても一生懸命で、どこで使っても期待以上。ああいうキャラクターはどこでも受け入れられる。あそこまでメンタルが強い選手はなかなかいない。入団4年目か5年目の時に“俺がおまえに教えることは何もねぇ”と言ったよ」と回想。「あの年齢でもガンガンに成長している。優勝しても変わらずに頑張ってほしい。まあ、変わらないと思うけど」と笑った。興津氏は「頑固な健太さんを認めさせたんだから、どの監督とでもうまくやれるでしょう」と目を細める。

 母の富美代さんは「昔から自分の実力よりも背伸びして、成長できそうな環境を選ぶ。滝川二高に進学する時も中学の県選抜のコーチから“レギュラーで出るのは難しいよ”と言われたんですが、迷うことなく決めてました。その方がワクワクするんでしょうね」と語った。国際Aマッチ通算48得点は釜本、カズに次ぐ日本歴代3位。“8時半の男”として期待されずにプロ入りしたが、30歳を迎えたストライカーは今、間違いなく日本サッカーの中心にいる。

 ◆岡崎 慎司(おかざき・しんじ)1986年(昭61)4月16日、兵庫県尼崎市生まれの30歳。小2で宝塚JFCでサッカーを始め、中学まで同クラブに所属。滝川二高から05年に清水入り。11年1月にシュツットガルト移籍。13年6月に加入したマインツで13~14年に欧州主要リーグで日本人最多の15得点を記録するなど2季連続2桁得点。昨年6月に移籍金1000万ユーロ(当時約14億円)でレスターに移籍。08年北京五輪代表。W杯は10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会出場。国際Aマッチ通算100試合48得点(歴代3位)。1メートル74、76キロ。利き足は右。

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