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鹿島の中田が引退セレモニー 同期の小笠原らに感謝

[ 2014年12月6日 18:10 ]

<鹿島・鳥栖>引退する中田は小笠原(左)の頭をなでる

J1最終節 鹿島0―1鳥栖

(12月6日 カシマ)
 今季限りで現役引退することを表明した元日本代表DF中田浩二(35)の引退セレモニーが6日、今季最終戦となった鳥栖戦後に行われた。

 妻で女優の長澤奈央(30)から花束を受け取った中田は、試合後も残って引退を惜しむサポーターに向かい感謝し、「正直、この決断をするのには様々な葛藤がありました。チームに貢献できない悔しさ、もどかしさもあり、チャンスがあれば、まだまだできるという葛藤もあった」と語った。

 今季出場はわずか3試合。この日もベンチ外で最終戦を迎えることになった。それでも「アントラーズ以外のユニホームを着てプレーしている姿が想像できなかったので、現役引退を決意しました。本当に素晴らしい経験ができました」と明かした。

 98年に名門・帝京高から鹿島入りし、同期のMF小笠原、MF本山、GK曽ケ端らとともに中心選手に育った。ボランチやセンターバックなど守備的なポジションでありながら、史上初の3冠を達成した00年はチャンピオンシップの横浜戦で勝利を決定付ける3点目を決めるなど勝負強さを発揮。05年1月から4年間はマルセイユ(フランス)をはじめ海外でプレーしたが、08年7月に鹿島に復帰。国内16冠を誇る常勝軍団で、計11冠獲得に貢献した。今後は、チームのスタッフとして残留の話し合いをしているところという。

 同期の小笠原、本山、曽ケ端との絆は強く「本当に素晴らしい友であり、ライバルでした。3人がいたからここまで頑張れました。1番最初に引退するのはちょっとシャクですが、本当にありがとう」と感謝。その後、選手らによる胴上げが行われたが、小笠原は悲しみを隠しきれず、うつむくばかりだった。

 ◆中田 浩二(なかた・こうじ)1979年(昭54)7月9日、滋賀県大津市生まれの35歳。帝京高を経て98年に鹿島入団。海外では05年からマルセイユ(フランス)、バーゼル(スイス)でプレー。08年7月に鹿島復帰。日本代表では02年W杯日韓大会、06年W杯ドイツ大会に出場。J通算266試合33得点。国際Aマッチ通算57試合2得点。1メートル82、74キロ。左利き。

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