あばれる君 誓う“笑顔の支援”、津波にのまれ殉職した警察官の叔父を誇りに

[ 2021年3月8日 05:30 ]

東日本大震災から10年――忘れない そして未来へ(8)

番組でサンドウィッチマン(前列中央2人)らとスパリゾートハワイアンズを訪れ、フラダンサーたちと記念撮影するあばれる君(前列左) (C)東北放送
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 東日本大震災から10年。被災地ゆかりの人たちが「あの日」の生々しい記憶とその後の10年を振り返りながら、被災地にエールを送るインタビュー企画。第8回は福島県で生まれ育ち、津波にのまれ殉職した警察官の叔父を誇りに活動しているお笑いタレントのあばれる君(34)です。

 福島県警双葉署の巡査部長だった叔父の古張文夫さん(享年53)はあの日、非番だった。地震発生後、浪江分庁舎に向かい、若い巡査2人を連れて沿岸部の住民の避難誘導にあたった。幹線道路の渋滞の最後方で「車を降りて逃げろ」と指示していたところを津波にさらわれた。

 「叔父さんと何日たっても連絡が取れなくて、だんだん(亡くなったと)実感させられていった感じでした。昔からなついていたのでショックでした」

 約1カ月後の4月15日、水田のあぜ道で遺体が見つかった。制服とヘルメットでやっと古張さんだと判断できる状態だった。「人を助けるために自らを犠牲にした。僕の誇りです」

 あの日、自身は自宅最寄り駅のトイレにいた。立ちくらみだと思い、誰かに助けてもらい外に出ると、柱が揺れていた。「柱に掃除のおばちゃんがしがみついていた。改札を出ると建物が縦やら横やらに揺れていて、阿鼻(あび)叫喚と化していた」

 当時デビュー2年で、お笑い番組のオーディションから帰宅中だった。アルバイトばかりで「家族には遊んでいると思われている頃でした」。しかし、その年の9月、古張さんの警察葬に父親と一緒に参列し、ある思いを固めた。

 「最後まで体を張った叔父さんのように、僕も体を張ることに誇りを感じよう」。バラエティー番組では激辛グルメチャレンジや体当たりロケなどで活躍し、15年には「R―1ぐらんぷり」の決勝に進出。「今の姿を叔父さんに見てほしかった」と感謝している。

 この10年間、被災地にはお笑いライブや番組などでたびたび訪れてきた。昨年12月には、サンドウィッチマンのTBS系特番「サンドのこれが東北魂だ 6号線を北上せよ!福島・宮城10年目のみちしるべ」の収録で、移動中の車内から帰宅困難区域の現状も目の当たりにした。「福島は根本的な問題の解決がまだできていない。県人の気持ちは意外なほど前を向いているので、漁業や農業といった第1次産業に若い世代が台頭して活気づけば」と思い描いている。

 古張さんの故郷である矢祭町に生まれ、郡山、白河と18歳まで福島県で育った。「年を重ねるごとに郷土愛が分かってきた。被災者の皆さんには“ともに前を向いて生きましょう。僕もできる限り東北の背中を後押しします”と言いたい」。これからも25万人超のフォロワーがいるツイッターで東北の魅力を発信し、復興を応援していく。(飯尾 史彦)

 ◆あばれる君 本名古張裕起(こばり・ひろき)。1986年(昭61)9月25日生まれ、福島県出身の34歳。ワタナベコメディスクールを経て09年にデビュー。芸名はアルバイト先の居酒屋でよく皿を落として割っていたことを店長に「君って“あばれる君”だよね」と揶揄(やゆ)されたことに由来。主なレギュラー番組にテレビ東京「おはスタ」や「ポケモンの家あつまる?」など。13年に看護師の女性と結婚し、16年に男児が誕生。血液型A。

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