【大人の魅力】多くの文化人を魅了…美輪明宏「銀巴里」から全てが生まれた

[ 2017年8月27日 10:05 ]

当時19歳、シャンソンを歌う美輪明宏。多くの人を魅了してきた
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 美輪明宏(82)が毎年開催する「音楽会」が9月8日、池袋の東京芸術劇場プレイハウスで初日の幕を開ける。テーマは、ずばり「美輪明宏の世界〜シャンソンとおしゃべり」。かつて多くの文化人、学生たちが集ったシャンソン喫茶「銀巴里」の雰囲気を再現するという。今回は、ひと足早く「銀巴里」へようこそ!

 物語はいつもここから始まった。銀座7丁目、その名はシャンソン喫茶「銀巴里」。薄暗い階段を恐る恐る歩を進める。壁にはモンマルトルの丘から見下ろすパリの街並み。さあ、異空間へようこそ。ビロードのような優しい闇に包まれたステージ。金色のスポットライトに浮かび上がるシルエットは、妖艶な美の化身か。

 「あの子は一体だれなの?」

 「男なのか、女なのか」

 「それにしても歌唱力は半端ないな」

 寿司詰めの客席から湧き上がる歓声、尋常ではない美しさに漏れるため息。観客の視線を一瞬でクギ付けにしたのは、弱冠17歳の美輪明宏だ。

 敗戦からわずか数年。時代が文化に飢えていた。キャバレー、ダンスホール、そして、生バンド。「暗い日曜日」などで知られるダミアが来日すると、芸術の都の香り漂うシャンソンブーム到来。そんな中、彗星(すいせい)のごとく現れたのが、エディット・ピアフ「バラ色の人生」、イヴ・モンタン「枯葉」などを流ちょうなフランス語で歌う美少年だ。オペラ歌手を目指し音楽学校で練習を積んだ、その歌唱力は折り紙付き。類いまれな美貌と歌声は、瞬く間に巷(ちまた)に知れ渡った。

 「面白い時代でしたね。いつもいろいろな方がいらっしゃってましたから。まるでサロンという感じでした。大正ロマン、昭和モダンの空気に満ちあふれてましたね。ああいう場所は今はどこにもないですね」

 「銀巴里」は、時流に敏感な多くの文化人、学生たちで連日にぎわった。美輪の底知れぬ魅力にいち早く心酔したのは、「仮面の告白」「金閣寺」の三島由紀夫だ。その後の2人の深い精神的な結びつきはあまりにも有名。後年、その三島が美輪のために戯曲化した「黒蜥蜴(とかげ)」の原作者、推理作家の江戸川乱歩もやってきた。ノーベル賞作家となった大江健三郎、若き日の五木寛之らも足しげく店に通って来た。

 「君の前世は、あの天草四郎なんだって?じゃあ、僕の前世は何だか分かるの?」

 「そうですね。あなたは豆ダヌキですよ」

 「なんで君が天草四郎で、俺が豆ダヌキなんだ。ちゃんと真面目に見ろよ」

 「たぶん、そうね、あなたはきっと“転び伴天連(ばてれん)”でしょうね」

 こんなウイットに富んだやりとりを美輪と交わしたのは、フランス留学から帰国したばかり、「白い人」で芥川賞を獲った遠藤周作である。

 「私が“転び伴天連”と言ったら、その瞬間、彼の顔色がサーッと変わるのが分かりましたよ。きっと何か心に思うことがあったのかもしれませんね」

 ポルトガル司祭と隠れキリシタンを題材にした、遠藤文学の代表作の一つ「沈黙」が出版されたのは、その10年後のことである。

 世はまさに神武景気。当時の美輪に付けられたキャッチフレーズは、「神武以来(じんむこのかた)の美少年」。このキャッチを最初に口にしたのは、パリの社交界でも活躍した「バロン薩摩」こと薩摩治郎八だった。巨万の富で画家の藤田嗣治ら、多くの芸術家を支援した桁外れの大金持ち。晩年、帰国し「銀巴里」で美輪のステージに魅せられてしまった。その薩摩は常々「今、僕にあの頃の金があれば、君は一体どんな芸術家になっただろう」と悔しがっていた。

 「銀座にムラサキのお化けが出るぞ!」と騒動を巻き起こしたのは、20歳になった美輪の仕業だった。ライバル店の出現に順風だった「銀巴里」に突然、暗雲が立ちこめた。客足が遠のいた店のPRのために前代未聞のアイデアをひねり出した。それが派手な紫のシャツにパンツルック。髪の毛は米国から入って来たばかりのスプレーで染めた。

 「マニキュアは日劇の大道具さんにお願いして作ってもらいました。全身ムラサキずくめで数寄屋橋から歌を歌いながら店まで行進するんです。すると、みなさんが珍しがってどんどん後をついてくるんです。まるで“ハーメルンの笛吹き男”ですよ」

 今思えば、この時が元祖ビジュアル系の始まり。こんな奇策を思いついたのは、美輪が若衆たちが着飾った室町時代の華やかな小姓文化に精通していたこと、もうひとつ、米軍の将校たちが持参する海外の雑誌がヒントになった。

 「あの頃、実存主義を提唱するサルトルやボーボワール、ジャン・コクトーらのいかにも自由な写真がよく出ていました。それとダダイズムに傾倒したような人たち。物凄く奇抜なファッションで驚きましたね。見た瞬間にこれだっとピンときました」

 「バカヤロー」「ケチンボ」など、それまで日本にはなかった訳詞を付けて大ヒットしたのは、美輪をスターダムに押し上げた「メケメケ」。学生服姿で客席から憧れのまなざしを送っていた寺山修司は、時を経て、晴れて美輪主演の舞台「毛皮のマリー」などを実現、伝説を作り出した。

 まさに全てがこの店から生まれたのである。 (敬称略)

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