ちばてつや氏「あしたのジョー」のラスト“真っ白”に込めた思い

[ 2015年9月20日 10:15 ]

ちばてつや氏は、事務所応接間にあるジョーの巨大イラストの前で笑顔

 戦後70年企画の連載で、ボクシング漫画の名作「あしたのジョー」のちばてつや氏を取材した。

 スポニチ本紙の連載では旧満州(中国東北部)で終戦を迎えたちば氏の壮絶な引き揚げ体験を中心に書いたが、あしたのジョーそのものの話も、興味深いものばかりだった。

 最終回の最後のコマついても聞いた。試合終了直後のリングで、ジョーはコーナーポストを背に眠るようにイスに座っている。色のない真っ白なジョーの姿は、作品のファンでなくとも知っている名場面だろう。直前のコマでは「真っ白に燃え尽きた」とつぶやいている。連載が終了し40年が過ぎた今も、ファンは「ジョーは死んだのか?」と議論を続けている。

 ちば氏は、この場面の解釈について明言を避けてきた。今もその姿勢は変わらない。だが取材では、この場面に込めた思いを話してくれた。

 「真っ白になるまで頑張れば、新しい明日が来ると、若い人に伝えたかった。いい加減な仕事をしていては明日は来ない。やろうと決めたことに全力投球してほしい。そうすれば、きっと自分の中に何かが残る。次の何かに頑張るとき、生きるものがある」

 あしたのジョーは当時、大学生らにも人気で、漫画の読者層を大人まで広げた作品といわれる。寺山修司、三島由紀夫らも愛読し、文学作品とも評価された。だが、ちば氏の込めた思いは少年漫画らしい真っすぐなものだった。

 物語は終盤、ジョーの体にパンチドランカーの徴候が現れ、同じ症状で自分の名前すら忘れたかつてのライバルも登場する。読者はジョーの悲劇的な未来を予感したはずだ。「真っ白に燃え尽きた」というセリフは、死を意味するようにも思える。また読者には、ジョーが深刻なパンチドランカー症状を抱えて生きるぐらいなら、死んでいてほしいと考える人もいたのではないだろうか。

 だが、ちば氏が込めた思いを聞けば、悲惨な未来が待っているとは思えない。記者は、ジョーが次の人生を前向きに生きていると確信した。

 真っ白に燃え尽きるような生き方は、作品の重大なテーマの1つ。ジョーは、普通の人が求める幸せを犠牲にし、ボクシングにすべてを捧げた。ジョーに思いを寄せる女性キャラ・紀ちゃんは「ついていけそうにない」と離れ、ジョーの親友・西と結婚する。ジョーはパンチドランカーになり、廃人となる未来がチラつきながらも、己の運命や使命に身を投じる。

 多くの読者はその姿にシビれつつ「自分にはできない」とも思ったのではないか。記者がそんな思いを口にしたところ、ちば氏が言った。

 「打ち込むのは日常の身近な問題でもいいんですよ。宿題を、今日やると決めたら命懸けで集中してやるとかね」

 ちば氏は漫画家以外では教師になりたかったという。「宿題」という言葉に、漫画家としてのスタンスが見えた気がした。この人は、高尚な文学が描きたい人ではない。子ども好きで、子どもに前向きな力を与えたい漫画家なのだと感じた。

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