【内田雅也の追球】阪神・阪急新時代の光 戦中戦後、手を取り合っていた先人たちを思いたい

[ 2023年1月3日 08:00 ]

初日の出を迎えた甲子園球場(2023年1月1日午前7時13分撮影)
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 今年もまた甲子園球場で初日の出を拝んだ。11年連続になる。

 1日午前7時12分、黄金色に輝く光が三塁側アルプススタンドと左翼スタンドの間からさしてきた。粛然とした気持ちで見入った。

 昨年、日本漢字能力検定協会が選ぶ「今年の漢字」は「戦」だった。ロシアのウクライナへの軍事侵攻という戦争が暗い影を落としていた。

 この甲子園球場も戦争の記憶を刻んでいる。第2次大戦中、大鉄傘は金属供出で取り壊された。内野はイモ畑となり、外野を軍用車が走り回った。西宮大空襲では野球塔や一塁側アルプススタンドが爆撃を受けた。

 それでも野球人はプレーを続けた。1945(昭和20)年、すでにプロ野球は活動を休止していたが、関西4球団の選手が集まり、元日から5日まで甲子園と西宮で正月大会を開いた。応召相次ぐなか、阪神9人、産業4人の「猛虎」と阪急7人、朝日6人、産業1人の「隼」、連合2チームが連日、試合を行った。3日には空襲警報で中止となった。野球に救いを求めるようにファンがスタンドに集まった。

 戦時中、最後の最後までプロ野球を守ったのは主に若林忠志、藤村富美男、本堂安次、金田正泰……ら阪神と、上田藤夫、野口明……ら阪急の選手たちだった。

 終戦から2カ月、10月22日には阪急、阪神、近畿日本(南海)、朝日の関西4球団の役員が大阪・梅田の阪急ビルに集まり、プロ野球復活を決議し東京へ呼びかけた。

 阪神、阪急は創設時から親会社が強烈に意識するライバルだったが、戦中戦後は手を取り合ってプロ野球を支えていたわけだ。そんな歴史を思えば、年末の阪神球団トップ人事も違って見える。

 12月21日、オーナーに阪急阪神ホールディングス(HD)社長の杉山健博、新たに会長に阪神電鉄会長の秦雅夫が就いた。2006年に親会社が経営統合されたが、阪急から阪神球団オーナーが出るのは初めて。阪急の支配が強まっている。

 記者会見での「二人三脚」との説明が本物であってほしい。明日も知れぬ戦中戦後、野球への情熱がみなぎっていた先人たちを思いたい。

 時代は巡り、阪神と阪急が再び手を握る。甲子園を照らした初日の出は新時代の希望の光だと思いたい。=敬称略=(編集委員)

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2023年1月3日のニュース