松坂大輔 涙の引退会見「野球が好きなまま終われて良かった」 1時間で語った決意の瞬間、家族、今後

[ 2021年10月19日 14:00 ]

引退会見で涙がこぼれる松坂
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 今季限りで現役を引退する西武の松坂大輔投手(41)が19日に引退会見を行った。同日の日本ハム戦(メットライフドーム)で現役最後のマウンドに立つ。会見では、スーツではなく、背番号18のユニホームで臨んだ。会見後には西口投手コーチから花束を受け取った。

 7月7日の引退発表から3カ月。1時間に及んだ会見で、松坂は偽らざる思いを口にした。引退の理由について「4月の終わりの方だったと思います。ブルペンでなんの前触れもなく、とんでもない抜け方をした。たった1球でボールを投げるのが怖くなってしまった」と話した。右手のしびれから、20年7月に茨城県内の病院で「脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術」を受けたが症状は改善せず、そのブルペンで右手中指の感覚がないまま、ボールが抜けたことで恐怖を感じたという。日米通算170勝を挙げ、「僕はマグロなので」と公言し、何万球も腕を振った右腕が、「たった1球」に感じた恐怖。今の心境を問われると「選手は誰しもが長くプレーしたいと思い、こういう日がなるべく来ない日を願っていると思うんですけど、うーん、なんか今日という日がきてほしいようなきてほしくなかったようなそんな思いがあったんですけど、現時点ではまだスッキリしてないんですよね。このあと投げることになっていますし、投げてそこで自分の気持ちもすっきりするのかな、すっきりしてほしいと思います」と複雑な胸中を口にした。

 終始笑顔で進んだ会見で言葉を詰まらせる場面があったのは、家族に話が及んだ時。「やめると決断して妻に電話。息子がいて…」と下を向いて、鼻をすする場面があった。「長い間お疲れ様でしたと言ってもらいましたし、僕の方からも長い間、ありがとうということは伝えさせてもらいました」とやりとりを明かした。また、家族に向けて「一言で感謝といえば簡単ですけど、簡単なものではなかった。いい思いもさせてあげられたかもしれないけど。家族は家族なりに我慢というかストレスもあったと思いますし、本当に長い間我慢してもらったと思います」と長年の感謝を述べた。

 試合では、日米通算377試合目となる、現役最後のこの日の登板では、先発で日本ハムの近藤と対戦する。平成の怪物としての最後のマウンド。「本当は投げたくなかった。今の状態もあるし、どこまで投げられるか。もうこれ以上、駄目な姿を見せたくない。と思ってたんですけど、引退をたくさんの方に報告させてもらいましたけど、最後ユニホーム姿でマウンドに立つ松坂大輔を見たいと言ってくれる方々がいたので、どうしようもない姿かもしれないですけど、最後の最後、全部さらけだして見てもらおうと思いました」と覚悟をにじませた。

 引退後については「家族と過ごす時間を増やしながら違う角度で野球を見ていきたい。それ以外でも興味があるものにはチャレンジしていきたい。野球界、スポーツ界に何か恩返しできる形を作っていければ。漠然とですけど」と話した松坂。第2の人生のスタートを切る前に大勝負が待っている。

 ◇松坂 大輔(まつざか・だいすけ) 1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身の41歳。横浜では3年時に甲子園春夏連覇。98年ドラフト1位で西武入団。1年目に16勝で新人王、最多勝に輝いた。07年にレッドソックスに移籍し、同年にワールドシリーズ制覇。インディアンス、メッツを経て、15年にソフトバンクで日本球界復帰。18年に中日に移籍し、20年に西武に復帰した。日米通算170勝108敗2セーブ。1メートル82、92キロ。右投げ右打ち。

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