【内田雅也の追球】守備と走塁で引き寄せた流れ 本邦初の国際試合の地で見せたい「手本」となる侍野球

[ 2021年8月1日 08:00 ]

東京五輪第9日 野球1次リーグA組   日本7ー4メキシコ ( 2021年7月31日    横浜スタジアム )

<日本・メキシコ>3回1死一、三塁、浅村の投ゴロの間にヘッドスライディングで本塁を突く坂本(撮影・会津 智海)
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 試合の流れを引き寄せたのは日本の守備である。1、4回裏のピンチをいずれも最少失点でとどめたのが大きかった。

 2度ともメキシコの4番、エイドリアン・ゴンザレスを二ゴロ併殺に切った。ともに深く位置取りしていた二塁手・菊池涼介の巧みな捕球と素早い反転送球が光る。通常なら併殺は難しい深さだったが、もともと足は速くない。大リーグ通算2050安打、317本塁打だが6盗塁。さらに39歳、レジェンドの衰えを計算していた。たとえば、1回裏の一塁到達は手もとの計測で4秒75もかかっていた。

 一方、攻撃面では走塁で相手守備の乱れを誘った。

 1―1同点の3回表無死二塁、三ゴロで一塁送球が乱れた。二塁走者・坂本勇人は大きめに離塁して三塁手の気を引き、打者走者・吉田正尚が疾走してあわてさせたのだ。

 1死一、三塁となっての投前ボテボテゴロでも同じことが言えた。三塁走者・坂本の飛び出しと打者走者・浅村栄斗の疾走に投手が焦り、ボールが手につかなかった。投ゴロで勝ち越し決勝点をもぎ取っていた。

 こうした堅守(2試合無失策)や走塁技術、凡打疾走の姿勢は日本野球の伝統である。今や国際的にも球界のリーダーシップを果たすべき立場にある。五輪という舞台で、ただ勝つだけでなく、手本となる美しい野球を見せてほしいと願う。次回五輪での除外が決まっている野球だが、競技としての素晴らしさ、醍醐味(だいごみ)を世界に発信してほしい。

 この横浜は本邦初の野球国際試合が行われた地である。1896(明治29)年5月23日、国内無敵だった一高(今の東大教養学部)がアメリカ人の野球チーム、横浜外国人倶楽部(正式には横浜クリケット・アンド・アスレチック・クラブ)と居留地で試合を行った。

 1回表に4失点。その裏、一高は先頭打者が四球で出たが、一塁手の隠し球にあって憤死。2番打者も四球で出て、またも隠し球にあった。

 このトリックプレーについて、野球史家と言えるノンフィクション作家・佐山和夫(野球殿堂入り)は<「国際試合の第一戦」にすでに見えていた日米野球の本質的な違い>と指摘している。著書『日本野球はなぜベースボールを超えたのか』(彩流社)にある。

 勝つためには手段を選ばない。<過激な言い方だが、大リーグはイカサマ、インチキの歴史>と賭博、八百長、不正や威嚇投球、薬物依存などをあげ、日本野球の高い精神性を評価する。

 「侍ジャパン」ならば武士道やフェアネスを持ち合わせたチームでありたい。今回の2試合で示してきたように、審判員の判定に不満の素振りも見せず、グラウンドやベンチにツバも吐かないマナー面もある。

 先の一高はその後、反撃し何と29―4で「大勝利」を飾っている。当時の英字新聞、ガゼットは「学生軍は、わがアメリカ人居住者に、アメリカの国技であるこのゲームは、このようにやるのだということを示してくれた」と激賞したそうだ。

 目指す金メダルの先に、少年少女や世界に向けてのメッセージがあっていい。いまの日本野球にはそれができるとみている。 =敬称略= (編集委員)

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