【これで聞き納め!球児会見(5)】「人生誰でも失敗するときはある。社会復帰とか、ない方がおかしい」

[ 2020年11月11日 06:39 ]

阪神・藤川球児引退試合 ( 2020年11月10日    甲子園 )

<神・巨24>清原和博氏のメッセージに爆笑する藤川(撮影・北條 貴史)
Photo By スポニチ

 阪神・藤川球児投手(40)が10日の巨人戦で引退試合に臨み、慣れしたんだ“最終回”に登板した。今季最多2万1392人を集めた本拠地・甲子園球場で「火の玉」と称された全12球の直球勝負で2三振を奪うなど打者3人を抑え、22年間の現役最後のマウンドを終え、引退会見を行った。

 ――城島さんが球児投手にも眠らない日があると。でもその姿をみせないようにとも。そのあたりの葛藤は。
 「プロやから見せるものじゃない。って思ったし、ファンの方々に、強烈なのやじを浴びたりすることって、大事だと思うんですよ、実は。助長するわけじゃなくて、自分には必要だったんですよ。それだけ責任が重いポジションを任せていただいたわけだし、それを自分がうけることで、首脳陣だったり、誰かを守れるんですよね。そこから立ち上がれる人しかそういうものはこないと思っている。だから、いくらでも来いと思いましたけど、ほとんど27、28歳。27歳から30くらいの手前までは、ナイター終わって、今から11時くらいから食事取って…。朝の5時から7時くらいまではもう何回も見てましたね。映像を見て、窓ガラスに映る自分のフォームを出して、そこを重ねていうのをずっとやりましたね。それは25歳からですけど。眠れなくなったのは、解決させないと次の日同じヤジをさせるわけにはいかないと思ったんですよ。だってがっかりさせているんで、それは自分の責任なんですよね。絶対歓声に変えてあげなきゃ、せっかく足を運んで応援してくれているのに、最後の最後で自分がバトンを落としてそういう気持ちにさせるのはできなかったし。悩んでいるんだから言わないでくれというような生き方はしたくないし、これからもするつもりはない。誰かの力になるというそれだけの自分の強い信念がいるので。それは解放された今でもね。最近めちゃくちゃ寝られます(笑い)。でも、もうアメリカ行ったくらいから寝られるようになりましたね。むこうはそんな深く、個人にっていうのは違いますから。だけど僕は日本には日本の良さがあると正直思っています。なので自分がアメリカで成功しなかったり、アメリカで成功した選手が日本で成功できなかったりということが起こるわけで。その辺のところも少しは理解してもらえれば。いつかはね、そういうところもタイガースに少しは生かせればなと思うところもありますね」

 ――中学のときの作文が流れた。そのときの自分に今伝えられることは。
 「あれね、一夜漬けで書いたんですよ。夏休み前の最後にやばいやばいと思いながら書いて。夏休み明けにクラスで1日3人とか4人が読み上げるんですけど、自分の順番が回ってきて、“まあいっか適当に書いたし”と思って、抱負をつらつらつらつら読んだんですけど。終わってパって顔上げると周りが泣いてるんですよね。多分見せてはいないんですよ自分が外に。自分でも分かってない自分の感覚があって。多分それってマウンドの自分だと思うんですよ。だから野球選手として、野球をやっている中学生として書いた作文が、この40歳で野球を終えるときの自分が最後に話した所と完全に一直線につながるんですよ。そこと全く別に自分が存在していて、なんでそんな思いが出てくるんだ、それを言葉に起こせるんだ。今の自分だったらそれが…なんて言うんですかね、普段そんなことを考えているというような、不思議なんですよね。でも自分がプロに入ったときも、表現力とか、言葉一つ一つというのは大切に使わなければと思いながらできたんですよ。だから他の選手と少し違う言動のような言葉が残っているというのも、自分の信念を曲げないというところがあったんじゃなかろうかと。だから不思議です。15歳の自分には、“よくそんなことが書けたよね”と。だけど周りの人に支えられて、そこまでのそういう発想にいたったわけだし、これからも周りの人に支えられていくんだから。“ダメなときは自分の責任で、良かった時は周りのおかげと思って生きていけば間違いないよ”と。そういうふうに言いたいですね。これからの自分にもそう言いたいです」

 ――清原選手からのメッセージ。
 「清さんにそこまでの気持ちにさせてしまっていたということの方が、自分にとってはすごく辛い部分もあったんですね。言われたことは全然なんとも思ってないです。自分で克服できたんで。だけど言ってしまった方。それを取り上げられてしまった側のことを考えたときに、良いんだよプロなんだから、そういうのは。グラウンドを出た清原選手と、グラウンドを出た藤川球児選手の話なんだから。なのでもうひとつ前の世代で言えば、プロレスというか、グラウンド上の中で起こることっていうのは、外では絶対起こらないことだったんですけど。最後は自分がメッセージを清さんにしたんですけど、あのサプライズがあると知らずに。自分が清さんの恩を返さなければいけない。清さんがそうやって言ってくれたことで、自分を守ってくれようとするファンの方もできたんで。自分が苦しんでいるときに、自分の調子が良いときに、清原さんが強く言われたことで、いや球児はそういうやつじゃないと守ってくれる方ができたというのは、なんか心苦しいですね。でも、早くお礼を言いに行きたいというか。本当にお守りを頂いたときはね…。やっぱりそういう風な思いを持ってる方々というのは、僕もそうだし、人生誰でも失敗するときって絶対あるんですけど。ある可能性って誰にでもある。でもアメリカ行って感じたことは、そういうところからの社会復帰とか、絶対ない方がおかしいんですよ。そんな世の中おかしいですよって自分は常々思っていたけど、それを今日初めて言えたので、誰かになにかが伝わってれば。清原さんのことだけではなくて、色んなとこに対して。今こそみんなで支え合わなければ、というのは常に思わないといけないんじゃないかと思います。グラウンドのプレーは良いんです別に。“ちゃんと守らんかい”、“ストライク入れんかい”、“打たんかい”。こんなのは全然良いと思うんですよ。それ以外の所は色んな所を含めて、みんなが支え合ってかないと。今若い人がいるのか、それはどんな年齢層の人なのかは分からないですけど、必ず自分もそういうときがくるんで、人の支えが必要なときが。その時に周りに仲間がいて欲しいと思うならば、やっぱり常に日頃から前向きで、誰かのために惜しまず時間を使っていただいた方が格好いいかなと思います。自分も今もそうなりたいと思う気持ちがあります。それぐらい清さんにはお世話になりました」

続きを表示

2020年11月11日のニュース