【駒田徳広 我が道19】3連敗4連勝シリーズMVP 自分は凄いところで野球を…

[ 2026年5月20日 07:00 ]

89年日本一祝勝会鏡抜き。(左から)私、、原辰徳さん、正力亨オーナー、中曽根康弘元首相、務台光雄読売本社名誉会長、藤田元司監督
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 近鉄を相手に3連敗4連勝を飾った1989年(平元)の日本シリーズ。第3戦後のお立ち台で加藤哲郎が放った「シーズンのほうがよっぽどしんどかったですからね。相手も強いし」という言葉が流れを変えたと言われている。

 私はすぐ熱くなる性格だから一番怒っていたように言われるが、直接聞いてないし、3連敗すれば「そりゃあ弱いって言われるよね。くそーっとは思うけど…」という感じだった。

 それより東京・九段下の宿舎、ホテルグランドパレスで夕食の時、投手コーチの中村稔さんから「藤田さん(元司監督)が名誉会長に会いに行っている」と聞かされて心配になった。

 巨人の親会社、読売新聞社の務台光雄名誉会長はリーグ優勝だけでは「勝った」とカウントしない。開幕前の激励会で「長嶋も王も一度も勝っていない」と聞かされたことがある。もし4連敗したら…。藤田さんが辞任するんじゃないか。そんなことを思ってしまったのだ。

 後で聞いたら、その場合は優勝旅行などのご褒美は一切いりませんという話と、第4戦の先発は香田勲男でいきますという報告だったらしい。

 崖っ縁で迎えた第4戦(東京ドーム)。1番に入って初回左越え二塁打を放って先制点に結びつけた簑田浩二さん、緩いカーブを有効に使って香田を3安打完封に導いた中尾孝義さんが流れを変えてくれた。第1戦の8番から一つずつ打順を上げた私は5番でタイムリー2本。5―0で快勝した。

 第5戦は5回、斎藤雅樹がラルフ・ブライアントに右越えの先制本塁打を打たれた時、東京ドームが初めてというほど静まり返った。だが、その裏、岡崎郁さんの中越え適時二塁打で逆転。無安打が続いていた原辰徳さんの満塁本塁打も飛び出して6―1で連勝した。藤井寺球場に舞台を移した第6戦は桑田真澄―宮本和知―水野雄仁とつないで3―1で勝ち、逆王手をかけた。

 そして迎えた第7戦。2回に加藤から右翼席へ先制ホームランを打った。まだ1点。試合はどう転ぶか分からないが、第1戦から全試合にヒットを打ってMVPが懸かっていたからインパクトが欲しかった。三塁を回ったところで勢い余って、加藤に向かって「バーカ」と言うポーズを取ってしまった。

 原さん、シリーズ終了後に引退される中畑清さんにも一発が飛び出し、8―5。3連敗4連勝の逆転日本一を成し遂げた。私は23打数12安打、打率・522、1本塁打、5打点でMVPに選んでもらった。ファンや世論が背中を押してくれたおかげだったような気がする。

 11月5日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで行われた日本一祝勝会。正力亨オーナーからチャンピオンフラッグを渡された93歳の務台名誉会長は涙を流されていた。それを見た時、自分は凄いところで野球をやらせていただいているんだと思った。感動した。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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