【内田雅也の追球】「弱さ」の向こうの夢 藤川球児引退試合でも見えた、阪神のいとしき体質

[ 2020年11月11日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-4巨人 ( 2020年11月10日    甲子園 )

<神・巨24>初回、自らの失策をきっかけに青柳(中央)が失点を重ね、ばつの悪そうな表情を見せる小幡(右)(撮影・北條 貴史)
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 藤川球児は弱さを知っている。やさしいのである。それは、阪神の弱さといとしさを象徴しているかのようだ。

 2015年、球団創設80周年にあたり「本気で優勝を狙うなら、阪神タイガースが阪神タイガースでなくならなければならない」と語っている。ベースボール・マガジン社が出した『B・B・MOOK 阪神タイガース80年史』にある。

 「大前提として、素晴らしいファンを持った素晴らしい球団だということ。人が人を大事にする関西文化の象徴のような球団。人情があるから勝ちにくい。阪神には勝ち続けるという伝統がない。阪神が阪神でなくなった時、勝てるようになる」

 勝負の世界では非情さが必要だと話しているわけだ。藤川は人情と弱さが同居する阪神の伝統を肌で知る。そんな藤川の引退試合だった。そして、やはり、阪神は阪神だった。

 監督・矢野燿大は9回表の起用を明言していた。誰もが「リードして藤川に花道を」との強い思いでいた。

 思いは空転する。1回表は併殺コースのゴロをトンネル、挟撃でもミスがあり、3点を失った。打線は8回裏1死まで無安打だった。思いとプレーが一致しない。それは重圧などという陳腐な言葉では説明できない。

 プロ野球を愛した評論家・虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)がよく<スポーツは恋愛に似ている>と書いていた。『肉体への憎しみ』(筑摩書房)では作家・井上ひさしとの対談にある。恋愛が成就しないもどかしさを語る。「精神も肉体もきわめて不安定で絶えず揺れ動いている。ただし、その不安定な二つのものが、ある瞬間だけピシッと合うと、非常にいい按配(あんばい)になる」

 藤川を思う阪神の選手たちは恋煩いのように、精神と肉体が合致せず、苦しんでいた。

 このジレンマは藤川自身も抱く悩みだったはずだ。「僕はいつも考えている」と聞いたことがある。プロ入りから22年間は考え、悩んでいた日々だった。

 現に藤川は矢野の引退試合で大きな失敗をしている。2010年9月30日の甲子園。既に引退発表していた矢野は9回2死からマスクをかぶる段取りだった。相手は横浜(現DeNA)。ところが3―1の9回表、矢野のテーマ曲に乗り登板した藤川球児が連続四球から村田修一に逆転3ランを浴び、矢野の出番はなくなったのだった。

 藤川は2009年に出した著書『未熟者』(ベースボール・マガジン社新書)のあとがきで告白している。本のタイトルは自分自身なのだという。<僕はむしろ弱い人間で「心の患者」として、妻や友人という名のドクターに支えられて生きている>。

 阪神らしい弱さをさらけ出し、0―4で迎えた9回表、藤川最後の登板は訪れた。

 あのリンドバーグの登場曲『エブリ・リトル・シング、エブリ・プレシャス・シング』は、どんなちっぽけなことでも、かけがえのないものなんだ……と夢の大切さを訴えている。

 同曲のシングル発売は1996年7月だった。藤川が「プロを意識し始めた」という高知商1年の夏だった。後に結婚する同窓生の彼女が好きだった曲らしい。15歳の耳には自身への応援歌として響いていたのではないだろうか。

 最後のマウンドで腕を振った。弱くてもいい、夢を持とう。ナインにファンに、多くの人びとに……「いつか、夢はかなう」と伝えるように、強く腕を振った。=敬称略=(編集委員)

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