巨人・増田大が投げた!しかも抑えた!2/3回無失点 野手公式戦登板は21世紀初

[ 2020年8月7日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人0―11阪神 ( 2020年8月6日    甲子園 )

<神・巨>8回途中からマウンドに上がった巨人・増田大(撮影・大森 寛明)
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 巨人は6日、阪神に0―11で大敗し、連勝は2で止まった。0―4で迎えた8回に5番手の堀岡隼人投手(21)が一挙7失点。原辰徳監督(62)は1死無走者から野手の増田大輝内野手(27)を救援登板させ、増田大は打者2人を抑えた。巨人では2リーグ制以降、野手登録の選手が登板するのは史上初めて。敗色濃厚な中、「メジャー流」の奇策で甲子園を沸かせた。

 「ピッチャー増田大輝」。投手交代のアナウンス後も、観客はまだのみ込めなかった。内野手の増田大が5球の投球練習を終えるまでに甲子園のざわめきが徐々に広がった。原監督はこう言った。

 「一つの作戦。チーム最善策。連戦の中で、あそこをフォローアップする投手というのはいない。堀岡を投げさせることの方が(阪神に)はるかに失礼」

 堀岡が満塁弾を浴びて7失点した直後。「肩できた?」と聞き、野手用グラブで送り出した。吸い寄せられた内野手に囲まれ、増田大が手に粉をまぶす。中川ら4人の投手が残る中、投手歴を「高校の時にちょこっと」と話した内野手が、8回1死無走者からマウンドに立った。2リーグ制後では巨人史上初めてだ。

 頭の中はこうだった。「さすがにチェンジにならないとチームも困る…」。近本を直球で二ゴロ。江越には唯一の変化球、スライダーがわずかに外れ四球。大山は最速138キロの直球で右飛に抑えた。3球が小松島(徳島)時代に136キロだった自己最速を2キロ更新。当時たどり着けず「甲子園で投げているというのが凄くうれしかった」と力に変えた。

 メジャー流の采配は、緊急事態に違いない。だが今季の超過密日程を見据え、シーズン前に可能性を伝えていた。危機管理のため、宮本投手チーフコーチには投手経験のある野手をリサーチさせていた。堀岡が3点を取られ、1死も奪えず満塁とすると「誰かいるか?」と声が飛ぶ。内外野をこなす万能型の増田大と捕手の岸田。キャッチボールで良い方を選ぶことに決めた。

 三塁ベンチ前に飛び出した2人が、肩をつくる。わずか10往復の「投球練習」で増田大が選ばれた。決め手は右手のトップの位置が定まっていたこと。制球の乱れはないだろうと判断された。

 最後の登板は高校3年、夏の徳島大会。背番号4のエースとして、県4強まで4試合完投した。9年が過ぎ、プロの世界で勝ちパターンの投手を休ませた。「チームなので困ってたら助け合う。僕が抑えて投手が投げなくて済んだのは良かった」と破顔一笑である。

 原監督は「まさにユーティリティー。見事だと思う。大変助かった」と感謝した。その裏には、投手陣に反省を促す意味合いもある。宮本コーチは「投手には屈辱的。どう心に響いているか」と問うた。(神田 佑)

 《公式戦21世紀初》○…今季内野手登録の増田大(巨)が救援登板。野手の公式戦登板は00年6月3日近鉄戦で五十嵐章人(オ=内野)が8回にマウンドに立って以来20年ぶり。巨人では三原修監督が指揮を執っていた1リーグ時代の49年4月8日中日戦で外野手の野草義輝が7回から2イニングを投げて以来71年ぶり。2リーグ制後では増田大が初めてだ。ちなみに野草以前では38年水原茂、39~41年川上哲治、46年千葉茂(いずれも内野)らが公式戦に登板している。

 《登板した主な野手》

 ☆南海・広瀬叔功 70年10月14日の阪急戦で1―7の6回に中堅から投手に。2回2安打3四球も無失点に抑えた。

 ☆日本ハム・高橋博士 74年9月29日の南海戦で1試合で全てのポジションを守るという珍記録を達成。マウンドには9回に上がり投手・野崎を中飛に打ち取った。

 ☆西武・デストラーデ 95年5月9日のオリックス戦、0―9の8回2死無走者から登板。1人目に三塁打を打たれ、その後連続四球。1死も奪えず降板した。

 ☆オリックス・五十嵐章人 00年6月3日の近鉄戦で3―17の8回1死から登板。1回を1安打無失点に抑え、高橋博士(日)に続く2人目の全ポジション出場を達成した。

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