【内田雅也の追球】さあ、野球を“摂取”しよう――帰ってくる日常への期待

[ 2020年6月19日 08:00 ]

無観客で伝統の巨人・阪神戦が行われる東京ドーム(撮影・大森 寛明)
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 たとえば、映画『スモーク』のオープニングはブルックリンのタバコ屋の店先でラジオの大リーグ中継から歓声が流れている。男たちが愛するメッツについて「ダメ・チームだ」「どいつもこいつも」と言い合う。

 原作はポール・オースターの『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』。村上春樹・柴田元幸共著の『翻訳夜話』(文春新書)に2人の翻訳がある。柴田の翻訳を記せば、店主は<天気やメッツやワシントンの政治家連中をネタに何かと気のきいたことを言う>とある。つまり、野球は天気や政治同様に身近な日常なのだ。

 オースターはコロンビア大卒業後、フランスに移住したが、金銭が底をつきアメリカに帰った。当時の経験を小説『リヴァイアサン』(新潮文庫)で描いている。主人公の売れない青年作家が5年間のパリ生活の後、帰国した事情を語る。

 「きっと野球なしで長く暮らしすぎたんだと思う。人間、ダブルプレーとホームランを一定量摂取しないと精神が枯渇してくるから」

 野球好きのオースターらしいセリフである。野球愛好家が、野球のない国にいては、心が枯れてしまうのだ。

 実に、よく分かる。いま、同じような思いでいる野球ファンは幾らもいよう。新型コロナウイルスの疫病禍で野球のない日々が長く続いた。もう心は限界かもしれない。ダブルプレーもホームランも、外角低めのスライダーもヒットエンドランも、右中間三塁打もセーフティバントも、内野ゴロでの力走も犠飛を阻止しようとする外野手の遠投も……目にしないことには心がすさんでしまうのである。

 そんな苦しい日々もようやく終わる。予定の3月20日から遅れること3カ月、プロ野球はきょう19日、開幕を迎える。日常が帰ってくる。

 米国では野球場に試合を見に行くことを「テイク・イン」という。映画や芸術を鑑賞に行く際に使う言葉だ。<これは野球特有の言い回しだ。野球には摂取すべきものがたっぷりある。摂取したものを吸収(テイク・イン)する時間もふんだんにある。だからこそ、こういう言い方が生まれたのかもしれない>=ジョージ・F・ウィル『野球術』(文春文庫)=。

 残念ながら、当面は無観客試合で野球場に出向くことはできない。だが、テレビやネット中継の画面から摂取も吸収もできるだろう。野球の魅力にはスタンドのざわめきや大歓声も含まれるが、しばらくは辛抱だ。何よりもまず、野球が帰ってくることを歓迎したい。

 阪神監督・矢野燿大が言うように、選手たちは凡ゴロでもあきらめずに疾走する。不屈の姿勢は今の生活や人生に通じていることだろう。

 さあ、目を開き、息を吸い込み、野球を摂取しよう。心に潤いをもたらすために。=敬称略=(編集委員)

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2020年6月19日のニュース