【球春ヒストリー(12)】2015年・敦賀気比 松本の人生変えた「1試合2満弾」

[ 2020年3月31日 09:00 ]

15年の選抜準決勝・大阪桐蔭戦で2打席連続本塁打を放った敦賀気比・松本
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 野球を続けていく以上、この肩書は一生ついて回るだろう。それも宿命として今は受け止めることができる。「甲子園大会史上初の1試合満塁弾2発」――。敦賀気比・松本哲幣の名前が一躍、全国に知れ渡ったのは15年の第87回大会における準決勝・大阪桐蔭戦だった。

 「あの一日で自分の人生が変わりましたし、野球人生を大きく左右する試合になりました」

 初回2死満塁で回ってきた第1打席。左腕・田中の甘いフォークをすくった打球は左翼席で勢いよく弾んだ。夏春連覇を狙った王者相手に、いきなり見舞った背番号17の衝撃弾。6番打者とは思えないパワーに4万4000人の観衆はどよめいた後、静まり返った。

 続く2回。2点を加え、なおも2死満塁で迎えた第2打席が運命の打席となった。内角直球を捉えた一打は左翼席最前列に飛び込んだ。“ひょっとしたら”が現実となった瞬間だった。PL学園・桑田真澄と星稜・松井秀喜が持っていた大会記録の1試合7打点を超える圧巻の8打点。東海大四(現東海大札幌)との決勝でも同点の8回に決勝2ランを放ち、春夏通じて初めて北陸に大旗を運んだ。

 この選抜での活躍が同大進学への道を開いたが、待ち受けていたのは周囲からの重圧。「“チャンスで打って当たり前”みたいな空気もありました。見られているというか、あの試合があって知名度も上がって、自分が変に意識してしまいました」。主力選手になれないまま、リーグ戦の通算本塁打は1本のみ。「苦しかった。納得がいかない4年間」と唇をかんだ。

 大学で目立った活躍がない以上、社会人でプレーを続けるのは容易ではなかった。進路にもがき苦しむ中で、手をさしのべてくれたのが敦賀気比の東哲平監督だった。「高校入学のきっかけも東監督。自分の人生において大きな存在です。東監督がいなかったら、今の自分は野球をやっていませんから」。

 今春から社会人野球のエイジェックでプレーする。栃木県小山市に本拠を置く、創部3年目の若いチームだ。すでに2月初旬からチームに合流している。励みは平沼翔太(現日本ハム)ら高校同期の頑張り。主将を務めた篠原涼や正捕手だった嘉門裕介も、そろって4月からJX―ENEOSで野球を続ける。いつか仲間と全国の舞台で戦いたい――。都市対抗、日本選手権出場が当面の目標だ。

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