木田画伯 忘れられないノムさんの「頑張れよ」

[ 2020年2月21日 09:00 ]

木田画伯が描いた野村克也氏
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 【木田優夫画伯 キャンプ絵日記】日本ハム・木田優夫投手コーチ(51)による今回の「木田画伯の球界絵日記」は、11日に他界した野村克也氏(享年84)をしのんでです。名捕手であり、名監督だった野村氏。現役時代の対戦で「ID野球」に打ち込まれたことばかり思い出されますが、17年に他界した沙知代夫人と、いつも笑顔で激励してくれたことは忘れません。

 皆さんもショックだったと思いますが、キャンプ中盤に球界に衝撃が走りました。あの名捕手で、名監督だった野村克也さんがお亡くなりになりました。現役時代は戦後初の3冠王を獲得するなど偉大な記録を数多くマークした強打者で、名捕手でしたが、年代的に僕の知る野村さんはスワローズ以降の監督としての野村さんのイメージが強いです。

 ちょうど僕がジャイアンツに入団4年目で1軍に定着できた1990年に監督に就任され、何回も対戦しました。当時、スワローズには広澤克実さん、池山隆寛さんの長距離砲がいましたが、そこに新人の古田敦也さんや若手の飯田哲也さんが加わり、野村監督の指導の下、あっという間に強力打線になり、いつも打たれてばかりいた記憶があります。野村さんが率いていたスワローズと対戦していたことで、僕も投手として成長できたんじゃないかと思っています。

 その後、僕が米国に行って、今度は僕がスワローズの選手になったときには、野村さんはイーグルスの監督に就任されました。ジャイアンツ時代のただ思い切って投げるだけのピッチングではなく、少しは考えて投げるようになっていたのですが、それでもやはり野村野球と戦うのは怖いし、難しいと感じながら投げていたのを覚えています。

 本当に若いころの話ですが、田園調布の駅で偶然お会いしたときに「あんた、頑張りなさいよ」と言って頭をポンッポンッとなでて激励していただいた沙知代夫人。お二人とももう亡くなられてしまいましたが、近年はグラウンドではなく、番組収録などテレビ局でお会いすることが多くなり、いつも小さな笑顔で「頑張れよ」と言ってくださいました。お二人の笑顔と激励は忘れません。ありがとうございました。(日本ハム投手コーチ)

 ○…木田コーチが現役時代、公式戦で初めて野村監督と対戦したのが1990年のヤクルトとの開幕カードだ。開幕2戦目(4月8日)は延長戦に突入。リリーフしていた木田コーチに延長12回、打席が回ってきた。「代打と思った」が、代打はなく、サヨナラアーチで決着を付けた。「思い切り振っただけ。まぐれです」と振り返るが、これがプロ初安打初打点。実は12回裏、コーチ陣が代打を提案したところ、当時の藤田元司監督が「今日の木田の打撃練習を見てなかったのか!」とそのまま打席に送ったそうで、この采配に応える一発となった。

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