令和の怪物、佐々木朗希「速いだけと言われないように」 高校野球生活は「99点」

[ 2020年1月1日 11:00 ]

佐々木朗希単独インタビュー

インタビューに応じた佐々木朗希(撮影・尾崎 有希)
Photo By スポニチ

 高校生史上最速となる163キロをマークしたロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18=大船渡)がスポニチ本紙の単独インタビューに応じた。(聞き手・福浦健太郎)

 ――19年4月の高校日本代表合宿で、エンゼルス・大谷投手が花巻東時代に記録した160キロを超える高校生史上最速となる163キロを出し、「令和の怪物」と呼ばれた。
 「まだ(プロでは)なにもしていないので…。これから僕以外でもっとふさわしい人が出てくると思う。僕は僕のペースでやりたい。自分なんかよりも(令和の怪物に)ふさわしい人はいると思います」

 ――あの1球のことを教えてください。
 「納得いくか、いかないかといえば難しいところなんですが、力が入りすぎてしまったと思います」

 ――佐々木朗希にとって直球とは?
 「打ち取れる球、空振りが取れる球。同じ質だったら、ボールが速いに越したことはない。球速だけを求めるわけではないけど、球速も大切な武器だと思うので、そこは大切にしていきたいと思います。それだけを求めるわけではないですけど、モチベーションにすることは悪いことではない。速いだけと言われないようにしたいですね」

 ――160キロを18歳で出したいと誓っていたと聞いたが?
 「高校1年の時に、その目標を立てました」

 ――走り込みなど中心で筋力トレーニングもそれほど、しなかったと聞いた。
 「自分の知らないことはやらないようにしていました。筋力トレーニングを始めたのは高校2年の冬。ペースもシーズン中は週1回、オフは週2回くらいですね」

 ――160キロの目標は見事、クリアした。ただ、甲子園という夢はあと一歩、届かなかった(※注)。
 「甲子園は素晴らしい場所で、高校球児の夢だと思うけど、甲子園に行ける学校は毎年、49校くらいしかない。行けなかったから悪いではない。目指して頑張る過程が、高校野球の意義だと思います。その中で自分の思うような成長ができたから、よかったと思います」

 ――では、高校野球生活は何点ぐらい?
 「99点ですね。残りの1点はやっぱり、最後に(甲子園へ)行けなかったこと」

 ――ライバルはヤクルトのドラフト1位で、高校日本代表で同僚だった星稜・奥川投手だと語っている。
 「(甲子園で準優勝する活躍に)うらやましいなと思っていました。あれくらいの能力を持って、それくらいいい投手になりたかった。(現時点では)負けています」

 ――奥川とはLINEで連絡も取り合っている?
 「たまにやっています。あっちから来ることは、あまりないです。内容は“練習どんな感じ?”とかですね」

 ――高校生活で得たものは?
 「高校野球を始めた時は、高校で野球は終わろうと思っていました。3年間しっかり、みんなと野球ができた。成長できたと思います」

 ――それは意外。高校卒業後、どうするつもりだった?
 「勉強して、大学に入って、静かに暮らすつもりでした。東北とか、静かなところで暮らしたかった(笑い)。周りより、少しは得意なことを仕事にして、なんとなく、生きていこうと思っていました」

 ――体重は昨年9月のU18ワールドカップから7キロ増の87キロになった。
 「栄養をバランスよく、取るようにしています。U18の時、(食事について)学ぶ機会があった。体重はもう少し、増えても大丈夫と思う」

 ――プロ入りしてからは、自分がどんな道を歩みたいとイメージしているか?
 「プロ初勝利は1年目でできればいいなと思います。初タイトルは防御率です。いつ、どうなるか分からないので獲れる時期に獲りたい」

 ――背番号17にも願いを込められたように、人類最速となる170キロの期待がかかる。
 「若い方が可能性としては高いと思う。20代前半くらいで出せればと思います。スピードはついてくるものだと思うので、求めずにやりたいです」

 ――その先にメジャー挑戦の夢もある?
 「それはタイミングを見ながらだし、結果次第と思うので、最終的な目標にはしたいなと思います」

 ――引退は何歳ぐらいか。逆に言うと、何歳まで現役で野球をやりたいか?
 「40歳くらいまでは野球をやりたいです。(直球が)通用しなくなれば、通用するように、自分なりに変化していければいいのかなと思います」

 ――11年には、東日本大震災に遭った。父・功太さんは37歳の若さで命を落とした。プロ野球選手としてどう、あの出来事と向き合っていくのか?
 「震災の時は(岩手県)陸前高田市にいました。この(大船渡市も含めた)気仙地区は今までいろんな人に、岩手だけじゃなくて、日本や世界中から支えていただいた。これからその分、恩返しできるような活躍をできればいいなと思います。しっかり、元気を届けられる選手になりたいなと思います」

 ――それが亡き父への恩返しにもなる。
 「(父は)好きに野球をやらせてくれた。キャッチボールもしてくれた。活躍すれば、恩返しできると思います」

 ※注【高校時代の佐々木朗希】1年夏からベンチ入りし、147キロをマーク。2年秋からエースとなり、県4強で157キロを計測した。3年春の高校日本代表候補による研修合宿では163キロを記録し、花巻東時代にエンゼルス・大谷翔平が出した160キロの高校日本最速記録を更新した。3年夏の県大会では盛岡四戦で160キロを計測し、延長12回を投げ切り、21奪三振。準決勝の一関工戦で完封したが、花巻東との決勝では「故障予防」を理由に欠場し、チームも敗退。3年間で甲子園出場はならなかった。

 【佐々木朗希に5つの質問】

 ――10年後の自分を想像してください。
 「その頃まで野球を続けていたいなと思います。プロの世界でやったことがないので、自分がどれだけ通用するか分からない。プロフェッショナルの舞台で野球を続けていることが最低限かなと思います」

 ――タイムマシンがあったら対戦したい打者は?
 「イチロー選手です。日本でもアメリカでも活躍されて、ヒット数は世界で一番、打っていると思うので、思いっきり打たれてみたいです」

 ――あなたの弱点。
 「幽霊です。(幽霊が出てきそうな怖い)映画も全然、見ないです。(幽霊が)出そうな場所には近づきません」

 ――最近のマイブームは?
 「野球です。特にプロに入って(練習などを)どうしようかとか(将来的には)どういうふうになろうかと考えている自分がいます。考えることは野球全般のことです。最近、授業中も考えてしまいます」

 ――無人島に持っていくものは?
 「実際にないものでもいいんでしょうか?それなら(ドラえもんの)四次元ポケットですね」

 ◆佐々木 朗希(ささき・ろうき)

 ☆生まれ&サイズ 2001年(平13)11月3日生まれ、岩手県陸前高田市出身の18歳。1メートル90、87キロ。右投げ右打ち。
 ☆球歴 陸前高田市立高田小3年から野球を始める。11年の東日本大震災で父・功太さんを亡くし、大船渡市へ転居。大船渡一中では投手。大船渡高では1年夏からベンチ入りし、2年秋から背番号1。3年夏は岩手大会決勝に登板しないまま、チームは敗退。甲子園出場なし。
 ☆野球以外の特技 バスケットボール。「ダンクシュートはできません」
 ☆音楽 あいみょんら、Jポップを幅広く。
 ☆お笑い好き サンドウィッチマン推し。「くだらないところが好き」。年末恒例の「ダウンタウンの“絶対に笑ってはいけない”も見ます」。
 ☆女性のタイプ 優しい人。結婚観は「おおざっぱに20代ではしたいです」。
 ☆気になる社会問題 地球温暖化。「(大船渡も)春と秋がなくなっている気がします」
 ☆得意科目 数学。「計算するのが得意。苦手なのは国語」。

続きを表示

この記事のフォト

2020年1月1日のニュース