元旦の甲子園球場で聞いた億万の声

[ 2020年1月1日 07:50 ]

甲子園球場の初日の出(2020年1月1日午前7時14分撮影)
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 【内田雅也の広角追球】一塁側内野席上段で初日の出を待った。そこは甲子園球場が生まれた1924(大正13)年8月1日早朝、大球場建設を指示した阪神電鉄専務・三崎省三が見つめた場所である。三崎の四男・悦治が書いた小説『甲子の歳』(ジュンク堂書店)に<野球場へ着くと、省三は、最初にメーン・スタンドの最上段へ上って行った。人影はなかった>とある。

 スタンドには誰もいない。マウンド上にはしめ飾りが立っている。年末12月27日にグラウンドを管理する阪神園芸スタッフが準備したものだ。場内はほの暗く、冷たく、厳かな空気に包まれていた。時折、鳥の鳴き声が響いていた。

 戦前は「東アルプス」と呼ばれた三塁側アルプススタンドの向こうの空は少し赤みがかってきた。初茜(はつあかね)である。
 午前7時14分、雲が切れた。スタンド最上段からオレンジ色の光が差した。令和初の元旦である。光は新しい時代を祝うように、球場内を照らしていった。淑気(しゅくき)に包まれた。

 96年前も同じ光景が広がっていたようだ。先の書にある。<八月一日の暁天(ぎょうてん)は、素晴らしく美しかった>とある。<大気は清らかに澄んでいた。新しい野球場は、大きな黄金の珠玉となって、大地に光り輝いて見えた>。

 甲子園球場の歴史を追った玉置通夫の『一億八千万人の甲子園』(オール出版)は、甲子園球場出現以来の日本の累計人口をタイトルにとっている。プロローグに<人それぞれに歴史があるように、建物にも時代の重みがあり、人それぞれの思い出がしみこんでいる>と、あとがきに<今後、何億人もの人たちが新しい思い出をつくっていく>とあった。

 阿久悠が作詞した春の選抜高校野球大会歌『今ありて』も<踏みしめる 土の饒舌(じょうぜつ) 幾万の人の想(おも)い出>と歌う。

 土や芝やスタンド……には大正、昭和、平成、令和と、時代を超えて、多くの人びとの汗も涙も思いも刻まれている。初日に照らされ、そんな億万の人びとの声が聞こえてくる。

 甲子園球場で御来光を拝むようになって9年になる。毎年、清澄で厳粛な気持ちとなるが、少しずつ何かが違っているように感じる。時代は移りゆき、内なる思いも移ろいゆくのだろう。

 今年はどんな年になるだろう。阪神タイガースは85周年、高校野球は春92回、夏102回大会を迎える。新しい思い出ができる。また土は饒舌となる。すべての野球人に幸あれと祈った。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大から85年4月入社。高校野球、近鉄、阪神担当を経てデスク、ニューヨーク支局長、2003年から編集委員(現職)。大阪本社発行紙面で阪神を追うコラム『内田雅也の追球』は今春、14年目を迎える。

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