病院慰問の「奇跡」で阪神・横田が感じた「できること」

[ 2019年9月22日 06:20 ]

阪神・横田 今季限りで現役引退

18年12月、大阪府内の病院を訪問し、子どもたちを激励した阪神・横田
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 【記者フリートーク】闘病を公表した2年前から、横田はずっと口にし続けてきた。「同じ病気を持つ人に夢、感動を与えたい」と。脳腫瘍という大病で、一瞬にしてプロ野球人生が暗転。絶望し、その場でバットを置いてもおかしくない中で、再び甲子園を目指す険しい道のりに踏み出すと、病を克服したプロアスリートとしての使命も背負った。「夢」や「感動」というありふれた言葉に彼が込めた思いは、表現するほうが野暮(やぼ)になる。

 昨年12月、横田が声を弾ませながら目の前で起きた「奇跡」について話してくれた。その数日前に大阪府内の病院を高山、熊谷と慰問。マスコミに公開はされなかったが、本人の希望もあって、自身と同じように重病と戦う患者の病室も時間の許す限りノックしたという。そこで待っていたのは、全く想像していない光景だった。

 「目が開かなかった人が目を開けて僕の顔を見てくれたり、歩けなかった人がサインをもらいに来てくれたり…。こんなことが起こるんだ…ってことが目の前で立て続けに起こったんです。本当に行って良かったし、もっと頑張らないといけない、自分にできることはあると思えた」

 彼のことだから、今は落ち込み、自分を責めているかもしれない。闘病を終えた17年9月から1度も試合に出場できず、プロ生活は幕を閉じようとしている。どれだけバットを振って、全力疾走を続けても、なかなか前に進まなかった先の見えない戦い。この2年間で幾多の挫折、本人しか分からない心の波があったはずだ。その都度、自分に言い聞かせるように「絶対に背番号24を取り戻します」と奮い立たせてきた。

 鳴尾浜球場には、今も「背番号24 横田慎太郎」の応援タオルが毎日、掲げられている。みんながその時を待っていた。ユニホームを泥だらけにすることが、自己表現だった男にとって辛すぎる瞬間が訪れる。けれど…その背中にどれだけの人が勇気をもらい、希望を持てたか。短くても、挑戦し、戦い続けた6年間を、ただ誇ってほしい、と今は思う。(阪神担当・遠藤 礼)

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