【内田雅也の追球】問われる本気度、目的――目標を見失いそうな阪神に

[ 2019年8月8日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―11ヤクルト ( 2019年8月7日    神宮 )

大敗に肩を落として球場を後にする矢野監督(撮影・大森 寛明)
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 神宮でのナイターが始まる前、プレスルームのテレビで甲子園の高校野球を観ていた。秋田中央最後の攻撃、9回表2死二塁、一打同点の場面をつくったが、二ゴロで敗れた。立命館宇治を相手に堂々戦っての0―1。彼らは激しき闘士であり、そして美しき敗者だった。

 この試合終了から5分後の午後6時、秋田出身のヤクルト・石川雅規が神宮で第1球を投げた。プロ17年目、39歳の軟投を阪神打線は打てなかった。6回2安打、ジェフリー・マルテ本塁打だけの1点に封じられ、通算168勝目を献上した。

 石川は秋田商3年だった1997年夏の甲子園大会に出場し、1回戦で浜田・和田毅(現ソフトバンク)に投げ勝っている。この勝利以降、秋田勢は夏の甲子園大会で13連敗。秋田勢の不振について自身の経験も踏まえ<今にして思えば、本気度が足りなかった>と、2011年に出した著書『頭で投げる』(ベースボール・マガジン社新書)に記している。他府県との差は技術面以上に精神面だと指摘した。

 <大きな違いがあるとすれば甲子園に臨む「意識」>と例をあげた。<「頑張りたいです」というのが秋田の子。「全国優勝を目指します。絶対に勝ちます」というのが他の都道府県の子>。

この本気度や意識は今の阪神でも問題と言えるかもしれない。開 幕前に掲げた優勝は遠く、クライマックスシリーズ(CS)進出も遠のいていく。目標を見失うかのような絶望感が漂っていないか。

 秋田の球児たちをみてみたい。近年は「頑張りたいです」ではない。昨夏は金足農が旋風を巻き起こし準優勝に輝いた。本気度が違ってきているわけだ。

 もう一度、監督・矢野燿大の話を思い出したい。今年元日付のスポニチ本紙紙面(大阪本社発行版)の赤星憲広(本紙評論家)との対談で、チームとしてのテーマを「誰かを喜ばせる」とした経緯を語っていた。

 「優勝という目標は自分の中で何か物足りなくて。当たり前だし、その上をいきたくて“ファンを喜ばせること”となった」

 <本来は「目標」を定める前に「目的」があるはずです>と喜多川泰『書斎の鍵』(現代書林)にあった。<「目的」とは「自分はどんな人間になりたいのか。そのために、自分の人生を何に使うと決めるのか」という本質的な問いに対する答え>だと続く。

 この人生を野球に置き換えたい。「誰かを喜ばせる」はプロとして――もっと書けば人間として――最上の目的だ。ならば、目標がぼやけようが、自分を見失うことはない。

 この日は映画にもなった『愛と死を見つめて』のミコ、大島みち子の命日だった。顔を軟骨肉腫に侵され、1963(昭和38)年に永眠した。21歳だった。

 阪神ファンだった。入院先、阪大病院屋上でラジオ中継を聴いた。62年の日記にある。<三宅のスリーランで逆転勝ち。4ゲーム差に開いたのでちょっと安心。わたしの病気も今日の阪神のようにいかないものか>。

 プロ野球は、阪神は、生きる希望になれるのである。=敬称略=(編集委員)

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