オリ山崎颯の右肘手術に至る89日間、成長のために必要な時間だった

[ 2019年8月6日 05:00 ]

オリックス・山崎颯一郎投手
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 オリックスの次世代スターを発掘する当コラム。20回目は山崎颯一郎投手を取り上げる。

 8月5日、14時12分―。球団から担当記者に対するリリース発表があった。「本日、山崎颯一郎選手は横浜市内の病院で、右肘内側側副靱帯再建術を行いました」。チームは札幌に向けて移動中。伊丹空港に集合していた頃の話だ。文字だけで見ると何とも無機質なものだが、その裏でこの89日間、彼の揺れ動く本音を見てきた者としては思うところがあった。

 5月8日のウエスタン・リーグ、ソフトバンク戦のことだ。先発した山崎颯は4回途中、投球後に突然マウンドで右肘を押さえてうずくまった。見ている誰もが息をのむ出来事だったが、当初は「筋損傷」との診断だった。本人も「助かりました」と一息付いていた。靱帯まで影響していなければ、離脱は思ったよりも短期間で済むはず。しかし何週間か後、軽い投球動作を行った彼の右肘には違和感が残った。「ショックでした。もう投げられると思っていたので」。再検査の結果は、靱帯(じんたい)の一部に損傷が見られるというものだった。

 あぁ、やっぱり…。私も言葉を失ってしまった。なんて声を掛けて良いのか分からなかったが、6月中旬のある頃、山崎颯は「注射を打つことにしました」と明かしてくれた。注射とは、PRP治療と呼ばれるもので、自らの血小板を抜き、患部に直接注入することで早期回復が見込まれるという処置。手術を回避し、復帰時期を早めるには、この選択肢しかない。かつて田中将大(ヤンキース)が右肘靱帯の部分断裂で、PRP治療を受けて手術を回避。オリックスに所属していた際に糸井も古傷の膝の負傷で受けたことがあった。

 注射か。ふに落ちない私の表情に気がついたのだろう。彼は本音を明かしたくれた。

 「今年中に投げたいんです。手術をすれば、来季も投げられるか分からないですし。実際に治るかどうかは分からないので、自分の中ではある意味で賭けですが」

 それ以上は聞く気になれなかった。今年中に投げたい―。山崎颯の中には、きっと悔しさがある。同期の山本由伸はエースになった。榊原翼も1軍で確固たる地位を築いた。2人との距離は嫌でも感じる。今年中に投げたいのは、彼の切実な思いだろう。

 7月に入ると、注射の効果が出たか、シャドーピッチングをするまでに回復した。大きな前進だったが、最後まで肘の違和感がなくなることはなかった。程なく、彼から「手術を受けます」と決断を聞いた。手首付近にある靱帯を移植し、再建する。通称、トミー・ジョン手術を受けることが決まったのだ。球団にとっても痛い出来事だろう。

 改めて山崎颯の経歴を説明する必要はないかもしれない。敦賀気比からドラフト6位で17年に入団した1メートル90の長身右腕。昨年は2軍戦で20試合に登板するなど、球団も育成に力を込めていた。秋にはU―23ワールドカップに日本代表として出場し、最優秀防御率賞を獲得。私は、山本、榊原にも劣らない潜在能力を持っていると思っていた。金子、西が抜けた今季は、先発ローテーションの一角を担うと期待されていただけに、長期離脱は大きな出来事だろう。

 しかし、私は5月8日から8月5日までの89日間、決して回り道したとは思わない。それは彼が成長するために必要な時間だったと思う。

 「手術を決めてからは、少しスッキリしました。このまま続けるよりも良かったと思います。手術、頑張ってきます」

 何日か前に会ったときは、表情も明るく、前向きになっていた。彼の背中を見送りながら、私は、大きくなってマウンドに帰ってきてほしい、と願った。(当コラムはスポニチホームページで不定期連載中)

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