目指すは日本人初のメジャー審判員 29歳・松田貴士氏の挑戦

[ 2018年3月4日 09:30 ]

 メジャーリーガーらがシーズン開幕への調整を進めるキャンプ地に向け、近く日本人審判員が出発する。松田貴士氏(29)。独立リーグ、四国アイランドリーグplus(IL)出身の審判員だ。

 フロリダ州のジム・エバンス審判学校に入ったのが6年前。マイナーリーグ審判員試験に合格し、ルーキーリーグと3階層からなる1Aを抜けて16年に2Aに昇格した。次は3A、その上にあるのがメジャーだ。「今季で3Aに上がりたい。3AにはMLB審判部のスカウトが見に来るんです」。日本野球機構(NPB)でキャリアを積んだ後に米国に渡った平林岳氏が11年まで3A審判員を務めたが、日本人メジャー審判員はまだいない。「史上初」が松田氏の視界にある。

 出発点は高知大野球部の時に参加した四国ILの試合運営ボランティア。「野球で食べていきたい」と審判員を志し、同リーグで大学4年時からジャッジを務めた。大きかったのは神谷佳秀審判部部長(45)との出会い。ドジャース・野茂英雄のトルネード旋風でメジャーにあこがれ、米審判学校で学んだ経歴を持っていた。審判技術を一つずつ教わる中で、示された米国という選択肢。夢を抱いて飛び出した。

 グラウンドで出した結果で評価されるのは選手と同じ。関門を越えてステップアップしてきたが、ここからの道はさらに険しくなるという。「2Aまでは審判スカウトが来ることを事前に教えてもらえるのですが、3Aは抜き打ちで見られます」。だから、常日頃の安定感が大切になる。「選手たちは日本よりアグレッシブに感情が出る。本塁打を打たれた投手が次は打者に当てにいくこともある、血の気の多い野球です。アメリカの審判が最も評価されるのは、トラブルをいかに小さくできるか、試合をしっかりコントロールできるか、ということ」。

 四国ILの立ち上げから審判を務める神谷部長は、夢の後継者に温かいまなざしを送る。「日本人はあいまいに、おとなしく…というところがあるし、海外だと日本人同士で固まってしまいがち。松田は違う。アメリカ人の中でもスッと、積極的に入っていける良さがある」。選手とは別の野球のプロフェッショナルが、大谷や田中、ダルビッシュの試合をさばく日が楽しみだ。(記者コラム・和田 裕司)

 ◆松田 貴士(まつだ・たかひと)1988年(昭63)7月14日生まれ、愛媛県西予市出身の29歳。八幡浜高で捕手、高知大では投手としてプレー。2010年から四国ILの審判員となり、オーストラリア審判留学を経て米国に渡った。2A審判員になったのは日本人3人目。

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2018年3月4日のニュース