【決断】東洋大・高橋昭雄監督 通算542勝置き土産 静かに次代支える

[ 2017年12月11日 09:30 ]

最後となった明治神宮大会。東洋大・高橋監督は準決勝で敗れるも笑顔を見せた
Photo By スポニチ

 名将・高橋昭雄はユニホームを脱いだ今でも、葛藤していた。自らの意思で勇退を決めたかったが、かなわなかった。今年2月、大学側から雇用の再延長はしないという理由で勇退を打診された。「ボランティアでも構わない」と思ったが「仕方ない。スッと引きましょう」。断腸の思いでユニホームに別れを告げた。

 ただ、引き際は昨年から考え始めていた。体調に不安があった。人工透析を受けており、週3日の通院。汗をかいてはならず、安静が必要で「以前はノックしたり、直接指導もできたけどね。学生に迷惑をかけてしまう」。大好きな納豆も薬の影響で食べられなくなった。今は初江夫人が作る、いり豆腐と野菜たっぷりの炒め物が好物だ。

 23歳から始まった46年間の監督生活。2部暮らしにあえいだ時期もあったが、最高のラストイヤーだった。春秋連覇し、東都1部最多の542勝を積み上げた。4年生には特別な思い入れがあった。「(エース兼主将の)飯田には“俺は最後になるかもしれないから頑張ろうな”と言った。決して辞めるとは言わなかったけどうすうす知ってたんだろうな。素質はなかったが何とかしようという代だった」。最後となった明治神宮大会は準決勝で日体大に敗戦。飯田は会見場では気丈に話したが、ロッカーでは立てないほど泣き崩れた。

 多くの教え子が巣立っていった。監督1年目の苦い思い出は忘れられない。落合博満が肉離れを頻発して練習できなくなり「両親に迷惑をかけたくない」と退部した。「経験があれば細かく見て休めとか言えたかな。彼も辞めなくて済んだかもしれない」。それから痛みを訴える選手はすぐ休養させ、必要であれば手術も受けさせた。原(現ヤクルト)や飯田は手術を経て、エースへと成長していった。「一番手がかかったのは谷口だな」と笑う。桧山(阪神)と同期で現在、上武大を率いる谷口英規監督だ。「やんちゃでね。本当によくいろんなところに頭を下げに行ったもんだ」。そんな教え子も、今や大学球界の次代を担う名監督となった。「立派になったよ」と目を細める。

 次期監督はOBを中心に選考し、年内にも方向性が出る見通しで「微力ながら次の監督を支えていきたい」。持ち前の明るさと時折交じるボヤキで愛された69歳の名将。大学野球を静かに外から見守っていく。 (松井 いつき)

 ◆高橋 昭雄(たかはし・あきお)1948年(昭23)6月8日、埼玉県生まれの69歳。大宮工―東洋大。捕手として活躍し日産自動車入りも1年で退社。23歳で東洋大監督に就任した。1部で通算18度優勝。全日本大学選手権を4度、明治神宮大会2度制覇。主な教え子に達川光男(ソフトバンクコーチ)、松沼博久、雅之の兄弟(元西武)、清水隆行(元巨人)、今岡真訪(ロッテ2軍監督)、大野奨太(中日)、鈴木大地(ロッテ)らがいる。

続きを表示

2017年12月11日のニュース