脳腫瘍乗り越えたオリドラ1山崎福 プロ初勝利でチーム連敗止めた

[ 2015年6月6日 05:30 ]

<中・オ>プロ初勝利を挙げ、福良監督代行(右)と握手を交わす山崎福

交流戦 オリックス3-2中日

(6月5日 ナゴヤD)
 2人にとって初勝利となったウイニングボール。それを手にしたオリックスの捕手・伊藤が「どうしますか?」と2人の顔を見渡した。すると、福良監督代行は「福也に」と指さした。

 5度目の挑戦でつかんだプロ初勝利。ドラフト1位ルーキーの山崎福は照れながら「2個ももらえてうれしいです」と笑った。実は2回にプロ初安打も記録。パ・リーグの投手では珍しく2つの記念球を手に入れた。

 森脇監督が成績不振の責任を取って2日に休養。チームは6連敗中と重苦しいムードの中でマウンドに上がった。「自分自身を追い込みすぎないように、ストライク先行でいきたい」と得意のカーブを駆使して、5回までは1安打無失点。6回に大島に2ランを浴びて降板したが「やっと1勝できてうれしい」と頬を緩めた。

 父・章弘さんは巨人、日本ハムで捕手として計12年間プレーした。山崎福も父の道を目指していたが、中学3年の時に「余命7、8年かもしれない」という脳腫瘍が見つかり、大手術を受けた。手術前日には、札幌ドームで当時日本ハム・ダルビッシュの完封劇を目に焼き付けた。野球をしていること自体が奇跡に近い。日大三から明大を経て、ドラフトで指名された後には、執刀医の沢村豊医師に「プロ野球選手になれました」とすぐに感謝の電話をかけた。両親だけでなく、報告をしたい人はたくさんいた。

 同じ病気に苦しんだ静岡県御殿場市の勝又祐輔君(13)も、そうだ。日大三時代から親交があり、3月29日のデビュー戦となった西武戦(西武プリンス)に招待したが、2回1/3を3失点KO。4月13日に2軍落ちしても、立ち上がれたのは周囲の存在があったから。森脇監督は「素晴らしいアスリートは、何度失敗しても、立ち上がる人のことだ」と声を掛けてくれた。全ての人への恩返しの勝利でもあった。

 現在も1年に1度は検査を受けているという山崎福。ロッカールームではチームメートから拍手を浴びた。「長かったです。でも、これからが大事」。プロ1勝は今後の長い野球人生の始まりでもある。

 ▼山崎福の母路子さん(所沢市の自宅でテレビ観戦)福也らしいテンポがありました。おめでとうとは言いますが、6回の本塁打は失投。ああいうのをなくさないと駄目ですね。

 ◆山崎 福也(やまさき・さちや)1992年(平4)9月9日、埼玉県出身の22歳。小2から野球を始め、向陽中では所沢中央シニアに所属。日大三では3年時にセンバツ準優勝。明大では1年秋にリーグ戦デビュー。通算20勝10敗、防御率2・20。14年ドラフト1位でオリックス入り。父・章弘さんは巨人、日本ハムで捕手として計12年間プレー。1メートル87、88キロ。左投げ左打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2015年6月6日のニュース