巨人の社会人出身ルーキー投手の系譜~藤田、城之内、尚成

[ 2015年6月6日 10:00 ]

藤田元司のピッチングフォーム

 今季の巨人で“予想外”の活躍を見せているルーキーの高木勇人。前評判はそれほど高くなかったが、キャンプ、オープン戦で評価を上げ、開幕3戦目のDeNA戦で先発に抜擢されると、プロ初先発初勝利をマーク。その後も白星を重ね、3、4月だけで4勝0敗と堂々とした結果を残して、いきなり月間MVPを受賞した。もはや巨人先発陣に欠かせない存在となり、セ・リーグ新人王争いでトップを走っている。

 巨人にはかつて、社会人出身のルーキー投手が1年目から活躍し、その後主力投手へとなった投手が多くいる。その系譜を振り返ってみよう。

◎藤田元司

 慶應義塾大、日本石油で活躍し、大学の先輩・水原円裕(水原茂)監督の誘いを受けて、1957年に巨人へ入団。1年目から先発だけでなくリリーフでも投げて60試合に登板。17勝13敗の成績を残し、新人王を受賞した。1958年には29勝、1959年には27勝(最多勝)と、獅子奮迅の活躍を見せて2年連続でリーグMVPを受賞。巨人の連覇に貢献し、衰えのみえた別所毅彦に代わり巨人のエースとなる。また、1959年6月25日の天覧試合では先発して完投勝利を挙げている。

 しかし、4年目以降は入団後3年間の登板過多のせいか、右肩を故障。1962年、63年と2ケタ勝利を挙げるも全盛期の投球は戻らず、わずか8年間で現役生活を終えた。引退後は巨人の投手コーチを務めV9に貢献。1981年から1983年、1989年から1992年と2度にわたり巨人の監督に就任。采配を振った6年間でリーグ優勝4回、日本一2回の結果を残した。

◎城之内邦雄

 日本ビールから1962年に巨人へ入団。ルーキーながら4月7日の阪神戦に開幕投手として登板する。序盤はなかなか勝てない時期が続くも、シュートを武器にシーズン途中から白星を重ね、最終的には24勝12敗の好成績を残して新人王を受賞した。

 その後は7年連続2ケタ勝利をマークして、V9初期のエースとして君臨。当時の日活の映画スター・宍戸錠にあやかり「エースのジョー」と呼ばれた。この間、1968年5月16日の大洋戦では、ノーヒットノーランを記録している。

 1971年のシーズンで1勝しか挙げられず、オフに巨人を退団し、一時現役から離れる。しかし、解説者時代に先輩でもある金田正一監督(当時ロッテ)に誘われ、1974年になんと現役復帰。5試合に登板した経験を持っている。その後、ロッテでコーチ、スカウトを務め、巨人にはスカウトとして復帰を果たした。

◎高橋尚成

 修徳高、駒澤大、東芝を経て、ドラフト1位で巨人に入団する。1年目の2000年は4月6日の中日戦にプロ初先発初勝利を挙げて、先発ローテーションの一角を担うようになった。2ケタ勝利は逃すも、9勝6敗の成績を残すと、続く、ダイエーとの日本シリーズでは第5戦に先発し、日本シリーズ初登板初完封を成し遂げ、優秀選手賞を受賞する活躍を見せた。

 3年目の2002年には、プロ入り初となる2ケタ勝利でチームの日本一に貢献。2006年はファウルボールが直撃し、長期離脱をしたものの、シーズン途中に復帰すると抑えを任され。15セーブを記録した。翌2007年は、原辰徳監督に直訴して先発に復帰すると、キャリアハイとなる14勝を挙げ、防御率2.75で最優秀防御率のタイトルを獲得。

 2009年の日本一を置き土産に、FAでメッツに移籍。当初はマイナー契約だったが、実戦で好投を繰り返し、開幕直前にメジャーに昇格となる。先発に抑えにフル回転し、勝ち運にも恵まれて1年目に10勝をマークした。いい意味で期待を裏切る活躍だった。エンゼルスに移籍した2011年は61試合に登板したが、2012年シーズン途中にパイレーツへ、2013年はカブスに移籍するも結果は残せず、自由に契約になった。

 2014年にDeNAと契約し、日本球界に復帰した。40歳となった今季も現役を続けているものの、NPB復帰後の1勝目はまだ挙げられておらず、DeNAでは7連敗中。今季、好調のチームの勝ち運に乗って、再スタートとなる1勝目を勝ち取ることはできるだろうか?(『週刊野球太郎』編集部)

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