高田・熊谷主将 三塁コーチャーで“考える野球”支え続けた

[ 2014年7月14日 05:30 ]

<高田・平舘>まさかの初戦敗退にぼう然自失の熊谷主将

岩手大会1回戦 高田5―6平館

(7月13日 森山)
 主将としての最後の仕事だった。応援に駆けつけた父母ら応援団に高田の熊谷は必死で声を絞り出した。「たくさん…本当にたくさん…支えてくれて…ありがとうございました!」。涙とおえつ。それでも感謝の言葉を最後まで伝え切った。

 小学生時代から吉田凜とはバッテリーを組んでいた。その吉田凜の球を受けるために高田高校に入学したが、今春の岩手大会では左翼手。最後の夏はレギュラーを外れ、背番号7の三塁コーチャーになった。父・伸彦さん(50)は「スコアブックを全試合持ち帰って研究していた。グチを言うこともなかったし、むしろ楽しかったんじゃないか」と話す。重圧と責任を1人で背負ってきた。「(吉田)凜之介とバッテリーを組みたかったけどできなかった。それは悔しい」。最後に少しだけ本音を言った。

 将来の夢は建築士。「たくさんの建物が(津波で)流された。地元の復興に少しでも役立ちたい」からだ。熊谷ら3年生が考えた今年のチームスローガンは「考常進(こうじょうしん)」。常に考えて進む。熊谷の高校野球人生がそうだった。

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