菅野 名古屋から病院直行 祖父・貢氏にウイニングボール

[ 2014年5月6日 05:30 ]

試合後、新横浜駅に到着し病院に向かう菅野

セ・リーグ 巨人3―2中日

(5月5日 ナゴヤD)
 じいちゃん、勝ったよ。巨人の菅野智之投手(24)が5日、中日戦で7回7安打2失点に抑え、リーグトップの6勝目を挙げた。心筋梗塞で神奈川県内の病院に入院した祖父の原貢氏(79=東海大系列校野球部総監督)に白星を届け、チームを2位に浮上させた。開幕投手の6連勝は、84年の江川卓に並ぶ球団歴代3位。また、貢氏の長男である原辰徳監督(55)は試合前に遠征先の名古屋から緊急帰京し、川相昌弘ヘッドコーチ(49)が代わって指揮を執った。

 試合が終わった時だけ菅野はナインと笑顔で勝利を分かち合った。だが、投げている時は一度も表情を緩めなかった。スーツに着替え、名古屋から帰京する時もだ。個人的な感情を胸にしまい、128球に全身全霊を込めた。7回2失点でつかんだリーグトップの6勝目。心筋梗塞で倒れた祖父・貢氏が入院した神奈川県内の病院に向かった。両親と見舞い、ウイニングボールを届けた。

 「きょうの先発は決まっている以上、僕にできることは投げて結果を出すことだけだった。変なピッチングをして負けるようなことがあったら、じいちゃんに怒られると思っていた」

 プロ野球選手に育ててくれた祖父が入院したのは、4日夕方。しかし、菅野がその事実を知ったのは、この日朝だった。「おそらく気を使って、家族は連絡してこなかったのでしょう。個人的なことで、チームに迷惑をかけられなかった」。心の中では祖父とともに、マウンドで戦った。

 調子は今季一番悪かった。スライダーが高めに浮き、初回、2回と連続失点。ここからが違った。捕手の阿部に「スライダーではなく、カットボールで行きましょう」と提案。曲がりが制御できないスライダーを減らし、小さな変化のカットボールを代用して立て直した。シュートしか頼る球がなかったが、回を追うごとに速球も本来の威力に戻った。「前回は絶対に打たれてはいけない場面で打たれた。今回は粘れた。修正できたのは僕の中で収穫になる」。4月29日のヤクルト戦(東京ドーム)では完投で5勝目も4点を失った。その試合を観戦していた貢氏に、今度は成長した姿を見せることができた。

 野球を始めた小学時代、貢氏の自宅の庭で最初は打撃指導を受けた。新聞紙を丸めてつくった即席球でトスをしてもらいティー打撃を繰り返した。その後、菅野は投手を目指した。中学生になると貢氏から肘を高い位置で保つことや腕の軌道の指導を受けた。高校、大学では心と体を徹底的に鍛えられた。今の菅野の心技体を支えるのは本人の努力と貢氏の熱意だ。貢氏から「2年目は去年と同じではいかん。みんな研究してくるし、より一層の努力がいる」と言われたのは今年に入ってから。開幕から6連勝と答えを出している。巨人の開幕投手が6連勝するのは90年の斎藤雅(現1軍投手コーチ)の8連勝以来で84年の江川卓と並ぶ球団歴代3位となった。

 「負けなしは自分にとって良い方のプレッシャーになっている。これからも負けなしでいられるように頑張っていく」

 病床で闘う祖父へ届けとばかりに、菅野は勝ち続けることを誓った。

 ▼巨人・川口投手総合コーチ(菅野の6勝目に)どういう状況でも常に平常心で戦っているところを見せてくれた。

 ≪スタルヒン以来76年ぶり≫菅野(巨)が7回2失点で開幕6連勝。巨人開幕投手の無傷の6連勝以上は、90年斎藤雅(8連勝)に次ぎ4人目。開幕戦の勝利を含む6連勝は38年春のスタルヒン(11連勝)以来76年ぶりとなった。この日は2点を先行されながら、味方が逆転。今季菅野が登板した7試合にチームは全勝だが、うち5勝が逆転と、打線の援護もあって連勝を伸ばしている。なお、ナゴヤDではプロ初登板の昨年7月28日、今年4月4日に次ぎ3戦3勝。22回で自責点がわずか1(防御率0・41)と相性抜群だ。

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