普通の就職も考えたが…田沢「決断は間違っていなかった」

[ 2013年11月1日 07:30 ]

カージナルス戦の7回、クレイグを一ゴロに仕留めガッツポーズするレッドソックス・田沢

Wシリーズ第6戦 レッドソックス6―1カージナルス

(10月30日 ボストン)
 【田沢純一独占手記】初めてのポストシーズンは当たって砕けろというか、向かっていくしかなかった。正直、毎試合、怖いし、リーグ優勝決定シリーズでカブレラ(タイガース)と何度も対戦した時も怖かった。

 マウンドに上がる時は「使った監督が悪い」という気持ち。打たれても死ぬわけではないし、そう思わないと思い切り投げられなかった。でも日本でプロも経験していない、アマチュアから来た選手が死にものぐるいでやったら抑えられたというのは、凄く自信になる。

 小学校の時の作文に「将来はプロ野球選手になりたい」と書いたけど、正直なれるとは思っていなかった。高校を卒業する時も、親にお金を払ってもらってまで大学に行って野球をするつもりはなかった。普通に就職しようと。先輩が行っていたシロアリ駆除の会社も考えた。そんな時にENEOS(現JX―ENEOS)さんからオファーをもらった。こうして野球をやれているのも会社と、自分を育ててくれた大久保(秀昭)監督のおかげです。

 08年オフ。悩んだ末にレッドソックスを選んだのは、育成方法とビジョンが明確だったから。3年契約だったので、最初は3年間でメジャーに一度でも上がれればいいぐらいの気持ち。アマチュアから行くので、そんな簡単な世界だとは思っていなかった。とにかく球団の育成プログラムを信じてやってきた。

 2年目の10年4月に右肘の腱移植手術を受けた時は、ワールドシリーズの舞台に立てるなんて夢にも思わなかった。術後は何週間たっても感覚が戻らず、私生活にも支障があった。少し動かすだけで激痛が走った。フロリダでは毎朝6時半に起きて、午後3時までリハビリ。その繰り返しで、気持ちの持ちようが大変だった。そんな時に斎藤隆さん(元レッドソックス、現楽天)からメールをもらったり、1年目で一緒にプレーしていた選手がメジャーで活躍しているのを見て、自分も同じ舞台に立ちたいと思い、心が折れずに済んだ。球団やトレーナー、いろいろな方のサポートには本当に感謝している。

 今年は4月にテロがあり、チームにとっても特別なシーズンだった。事件の直後には、複数のグループに分かれて、ケガをした人たちのお見舞いに病院にも行った。どこまで勇気を与えられたかは分からないけど、僕らが勝つことで、少しでも力を与えることができたなら、うれしい。

 移籍が多いメジャーですが、今でもここでプレーできている。ずっとレッドソックスに恩返ししたいという気持ちでやってきたので、少しは貢献できたかと思う。ここにたどり着くまでにはいろいろあったけど、レッドソックスを選んだ決断は間違っていなかったと思う。

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