世界一の雑草だ!上原、日本人初の胴上げ投手に

[ 2013年11月1日 06:00 ]

6年ぶり8度目のワールドシリーズ優勝を決め、オルティスに抱えられるレッドソックス・上原

Wシリーズ第6戦 レッドソックス6―1カージナルス

(10月30日 ボストン)
 雑草魂で世界一にたどり着いた。レッドソックスは30日(日本時間31日)、カージナルスを6―1で下し、4勝2敗として6年ぶり8度目のワールドシリーズ制覇。9回を締めた上原浩治投手(38)が、日本投手初の「胴上げ投手」となった。本拠地での世界一決定は1918年以来、95年ぶりで、前年地区最下位からの頂点は史上2チーム目の快挙。好救援を見せた田沢純一投手(27)とともに日本人コンビが、ボストンで輝きを放った。
【試合結果】

 涙が自然と頬をつたった。9回2死、最後の打者をこん身のスプリットで三振に仕留めた上原は、ボストンの夜空に人さし指を掲げて雄叫びを上げた。地区優勝、地区シリーズ、リーグ優勝決定シリーズに続く4度目の「胴上げ投手」。全て三振で締めてみせた。

 「本当に1年間、頑張ったと自分で言える。抑えになるとは思っていなかったし、今年だけで(胴上げ投手を)4回経験できたので凄くいい一年だった」

 シリーズ5試合目の登板は、6―1の9回。「コージ!」「コージ!」の大歓声の中、登場すると、いつものテンポで打者3人を5分で片付けた。連日つぶされそうな重圧と戦いながら、ポストシーズン13試合で1勝1敗7セーブ、防御率0・66。セレモニーでは壇上に呼ばれ「前回(リーグ優勝時)は吐きそうだったけど、今回は泣きそう。今も夢の中のよう」と話し、歓声を浴びた。

 大阪・東海大仰星時代は全くの無名選手。浪人を経て大体大に入学した経緯から、自らを「雑草」と表現する。大学卒業時にはエンゼルスから熱心な誘いを受けたが、巨人に入団。09年にFA権を行使してオリオールズと契約し、12年越しの夢をかなえた。しかし、順風満帆にはいかなかった。米国流に合わせてウエートトレーニングの量を増やしたが、その影響で最初の2年間は右肘の腱の部分断裂や左太腿裏痛など故障続き。一時は引退も頭をよぎった。

 転機は3年目の11年。「重すぎてダメ。自分はパワーじゃなく、腕の柔らかさで投げるタイプ」と体重を2~3キロ絞り、20勝を挙げて沢村賞を獲得した巨人時代1年目とほぼ同じ86キロに戻した。メジャー2年目から上原と二人三脚の内窪信一郎トレーナーは「骨格は車と一緒。フレームが決まっていて、いっぱいつけたら絶対に壊れる。上原さんには上原さんのフレームがある。筋力がつけば腕の振りは速くなるけど、筋肉にストレスがかかるからブレーキできない」と言う。

 パワー全盛のメジャーの中で、あえてしなやかさで勝負する上原。故障が減った11年以降は175試合に登板し6勝4敗22セーブ、防御率1・69だ。徹底した体調管理も大きい。三食きっちり取り、眠れない時は睡眠薬を飲んで寝る。生活のサイクルを正すことで、自然治癒力も高まった。

 移籍1年目の今季は開幕は中継ぎ。抑えに期待された投手が次々に故障し、上原は4人目の守護神だった。だが「野球が大好きだからどんな苦しいことでも乗り越えられる」と、持ち前の反骨心で不動の地位を築きボストンの英雄となった。19歳だった浪人時代のつらさを忘れないようにとの思いで、巨人時代からつけている背番号19。95年ぶりの歓喜に酔いしれる輪の中心に上原がいた。

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