いわき海星 がれきの山から出発した16人、甲子園へ

[ 2013年3月12日 06:00 ]

震災で破壊されたままの堤防脇でダッシュするいわき海星ナイン

22日開幕 センバツ

 第85回選抜高校野球大会(22日開幕、甲子園)に21世紀枠で初出場する、いわき海星(福島)は2年前、東日本大震災で甚大な津波被害を受けた。部室や野球道具は流され、がれきの山となったグラウンドは昨年10月に改修工事が始まったが、現在も全面を使うことはできない。それでも16人の部員はめげることなく、前を向く。がれきの山から出発し、真っさらなグラウンドの聖地・甲子園では感謝を胸にプレーする。15日に組み合わせ抽選が行われる。
【センバツ出場校】

 あれから2年がたった。それでも満足に野球ができない。ナインは復旧工事中のグラウンド隅でキャッチボールをし、改造した実習工場内で打撃練習を行う。校内には仮設トイレしかない。夏にはウジ虫がわいた。格技場は壁が崩れ、折れ曲がった骨組がむき出しのままになっている。筋力トレーニングには廃材で作った機器を使っている。

 若林亨監督は静かに話した。「2年分の思い、2年分のつらさを一日の喜びに変えて戦います。苦しみも喜びも全て含めて、それが甲子園」

 3・11。学校東側の防波堤を越えれば、すぐに太平洋が広がる。ひとたまりもなかった。部室が流された。野球道具も流された。グラウンドは海砂で覆われ、割れたガラスや壁の破片が散乱した。がれきの山だけが残った。震災直後に入学した現在の新3年生は、同4月26日、部活動はがれきの中から野球道具を捜すことから始まった。

 苦しかった2年間。だが全国から届いた支援に励まされた。昨夏は浜松大平台(静岡)ナインが、がれき拾いを手伝ってくれた。桐蔭学園(神奈川)からはボールが届いた。指揮官は言う。「がれきの山が邪魔で練習できなかった。劣悪な環境の中、温かい言葉が染みました。励みになった」。両校への「恩返し遠征」を今月6日から6日間の日程で決行。両校と練習試合を行い、感謝の気持ちをプレーに込めた。

 95年の阪神・淡路大震災を経験した市神港(兵庫)からは「支援に期限はない」と、無限に続く手作りの日めくりカレンダーが届いた。甲子園にはボランティア活動で交流があった所沢西(埼玉)の吹奏楽部が応援に駆けつけてくれる。坂本主将は「全国の人たちが応援してくれる。後ろに多くの方々がいる」と話す。

 部員は今大会最少の16人。しかし、がれきの山から出発した16人は、試練を乗り越えた強さがある。エース・鈴木は「本当に苦しかった。支援がなかったら野球ができなかった。感謝の気持ちで、頑張りたい」。ナインは、2年間の苦しみと喜びを、美しい甲子園のグラウンドで表現すると決めている。

 ▽いわき海星 1934年(昭9)福島水産講習所として開校。43年に小名浜水産学校、48年に小名浜水産高校、95年現校名に改称。県内唯一の水産・海洋系高校。野球部は60年創部。当初は軟式で86年に硬式に転向。所在地はいわき市小名浜下神白字舘の腰153。沢尻京二校長。

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