“原先輩、勝ちました”東海大相模リベンジ4強!

[ 2011年4月2日 06:00 ]

<鹿児島実・東海大相模>4強進出を決めた東海大相模ナインはアルプスに向かってダッシュ

 第83回選抜高校野球大会第10日、甲子園で準々決勝2試合が行われ、4強が出そろった。東海大相模(神奈川)は、今大会初先発となったエース近藤正崇(3年)が、鹿児島実(鹿児島)を6安打完封。チームを優勝した00年以来となる4強へと導いた。両校が甲子園で激突するのは原辰徳(現巨人監督)が1年生スラッガーとして活躍し、鹿児島実のエース定岡正二(元巨人)相手に延長15回の死闘を繰り広げた74年夏の準々決勝以来37年ぶり。当時は涙をのんだ「原先輩」の雪辱を後輩たちが果たした。

【試合結果】

 先発マウンドを託されたエースの意地だった。今大会3試合目にして初先発した近藤は、昨秋明治神宮大会準優勝チームをわずか102球、1時間35分で料理した。

 「やっと来たな、と思った。苦しい時にチームを助けるのがエース。打線の強いチームを抑えられて自信になる」。試合後のコメントにも充実感をにじませた。直球の最速は140キロに満たなかったが、球速表示以上に威力があった。奪三振は3。積極的に内角を突く本来の投球に加えて、丁寧に低めを突いて打たせて取った。

 昨年9月の神奈川大会2回戦、バント処理の際に左腓(ひ)骨筋腱を脱臼。全治3カ月と診断された。その後はテーピングで左足首を固めて関東大会までの全10試合(8完投)に登板してチームをセンバツ出場へと導いた。医師から「手術しないと治らない」と言われて11月に手術。年末、札幌市内の実家に帰省した際、父・昭男さん(49)から「不運だったな」と声をかけられたが「まあ、見てろよ」と返して、必死にリハビリに取り組んだ。本格的な投球練習再開は大会開幕1カ月前。今大会も1、2回戦は救援役に回ったが、ようやくの先発マウンドで快投。起用した門馬敬治監督も「責任感で力むことが心配だったが、柔らかく投げてくれた」とエースの投球を称えた。

 両校が甲子園で対戦するのは74年夏の準々決勝以来。1年生スラッガーの原(現巨人監督)を擁した当時は、延長15回の激戦の末に敗れた。37年前の雪辱を果たした近藤は当時のことについて「意識はしなかった」としながらも「甲子園の悔しさは、甲子園でしか晴らせない」と話した。

 前エースの一二三(ひふみ=阪神)から譲り受けたグラブで、完全復活を証明した近藤。あと2勝で届く00年春以来11年ぶり3度目の頂点は、すぐそこに見えている。

 ◆近藤 正崇(こんどう・まさたか)1993年(平5)8月21日、札幌市生まれの17歳。小3で新琴似スラッガーズで野球を始め、札幌新琴似シニアで全国優勝。東海大相模では1年秋からベンチ入り。1メートル82、81キロ。右投げ右打ち。

 ≪決勝進出の期待大≫東海大相模の近藤が6安打完封。春夏甲子園で同校の1投手による完封勝利は昨夏の一二三(現阪神)以来4人目(5度目)。1投手の完封があった大会は、3度とも決勝に進出している。

 ≪3年ぶり関東・東京勢2校の4強入り≫今センバツの4強が出そろった。関東・東京勢2校の4強入りは、08年の聖望学園、千葉経大付以来3年ぶり。九州勢は7年連続の4強入り。

 ≪51年鳴門以来の雪辱Vなるか≫東海大相模は準優勝の昨夏に続く4強。夏春連続の4強は99年夏4強→00年春準優勝の智弁和歌山以来11年ぶり。前年夏準V校の春4強は36年育英商、39年岐阜商、51年鳴門、85年PL学園に続き5校目。51年鳴門以来の雪辱Vなるか。

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