持ち球増えたプロ注目左腕、甲子園出場で株上がった

[ 2008年7月26日 08:35 ]

プロ注目投手対決 “ダル2世”無念の熱中症降板

 【飯塚6-1沖学園】この瞬間が訪れることを信じて投げ続けた。飯塚のエース辛島が投じたこの夏の599球目。ストレートで遊ゴロに抑えると、マウンドにはあっという間に歓喜の輪ができた。福岡県132校の頂点だ。背番号1は力強く両手を突き上げて、雄叫びを上げた。
 「まだ甲子園に行けるという実感がない。頭の中が真っ白です」。辛島の輝いた笑顔に充実感が表れていた。沖学園を6安打1失点に抑えて5連続完投を達成。6試合で防御率0・39と抜群の安定感が光った。吉田監督は「10点満点。エースの役目を果たしてくれました」と感謝感激だった。
 最速141キロの直球とスライダー、この夏から持ち球にしたチェンジアップで、沖学園を翻ろうした。最大のピンチは3点リードの4回、1死満塁。二ゴロの間に1点を失ったが、次の打者を一邪飛に抑えて最少失点で乗り切った。5回以降は1安打に抑え、スキを見せなかった、プロ注目左腕の株はさらに上がった。
 野球好きの祖父・弘明さん(65)から仕込まれたゆったりとした投球フォーム。46回を投げて6四死球の正確なコントロールが最大の武器だ。冬場の走り込みで下半身を鍛え上げ、制球力を身につけた。1日がかりで100メートルを100本も走った地獄のダッシュ、20キロ走…。「苦しい練習に耐えてきたから今があります」。高校入学時は53キロの細かった体は68キロまで大きくなった。だから全国屈指の激戦区を勝ち抜くことができた。
 福岡県の筑豊地区からは80年の田川以来、28年ぶりの夏の甲子園出場になる。飯塚市は03年に水害、今年4月には中心商店街が火事になる災難が続いたが、飯高(いいこう)が久しぶりに明るい話題を作った。吉田監督は「飯塚をもっと活気づけたい」と初出場の甲子園でも大暴れすると約束した。

 ◆辛島 航(からしま・わたる)1990年(平2)10月18日生まれの17歳。福岡市出身。吉塚小1年の時に「冷泉少年ファイターズ」で軟式野球を始める。吉塚中では硬式に転向して「ドリームフューチャーズ」に所属。中学2年から投手を始めた。高校では1年夏からベンチ入り。目標にしているプロ野球選手は杉内(ソフトバンク)。1メートル74、68キロ。左投げ左打ち。

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2008年7月26日のニュース