復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

釜石、ボランティア活動続けながらの勝利

[ 2011年5月13日 06:00 ]

<岩手・沿岸南地区予選>8回2死二・三塁、3ランを放ち上野(背番5)に迎えられる釜石・前川。左から十文字捕手、菅原球審 

春季岩手県大会沿岸南地区予選 高田5―6釜石
(5月12日 住田球場)
 複雑な思いが胸を去来する。高田高校に競り勝って初戦を突破した釜石高・菅原基(もとい)監督は、目を潤ませてこう切り出した。

 「ウチも同じ。ウチも被災者なんです。負けたくなかった…」。前日、あるマスコミから菅原監督に取材の電話があったという。高田高校との対戦前夜。「まるでわれわれが悪者のような言い方で。高田高校さんの被害が大きかったのは知っています。大変な思いをされた。しかし、被害状況を見れば、われわれも一緒なんです」

 レギュラー9人中、自宅が無事だったのは3人だけ。津波による被害は甚大だった。校舎やグラウンドは無事だったが、いまだ自宅に戻れない部員は多い。それでも報道で取り上げられることは必ずしも多くないのが現実だ。

 8回に一時は逆転となる右越え3ランを放った右翼手の前川昭平君(2年)は自宅を津波で流され、大槌町にある母親の実家に身を寄せている。自宅隣で営んでいた飲食店も失い、収入のメドも立っていない。それでも「野球に集中することが周囲を勇気づけることになると思います。練習時間は短かったけど、集中して臨むことができた」と屈託なく笑った。

 野球部員は練習ができなかった約1カ月の間、ボランティア活動を続けた。避難所になっている同校体育館で、老人らのトイレの世話を当番制で行うなど地域住民のために力を尽くしてきた。

 大きな被害を受け、その後、全力で立ち向かってきたのは被災地の全ての人々に共通する。しかし、特定の地域だけがクローズアップされる現実。それが被災地の人々の心に微妙な陰影をつくっている。

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