復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

高田・佐々木監督 感謝と誓い…88年出場・三浦監督の霊前に

[ 2011年7月15日 06:00 ]

 高田の佐々木明志(あきし)監督(48)と伊藤新(あらた)コーチ(39)は、開会式終了後、盛岡市内の三浦玲子さん(59)宅に車を走らせた。

 玲子さんは88年に高田高校が甲子園初出場を果たした際、監督を務めていた故・三浦宗さん(享年58)の夫人だ。三浦元監督は2年前に膵臓(すいぞう)がんで他界した。2人はこの日初めて霊前に手を合わせ、夏の大会の始まりを報告した。「いつも気にかけてもらっていたのに、申し訳ない」(佐々木監督)。

 88年の甲子園出場を機に高田高校裏の高台には専用のグラウンドと室内練習場が建てられた。今回の津波で、多くの住民がこの高台に避難。野球部員は急な坂道を老人らを背負って運び、最大で500人が生活した。「もしこのグラウンドがなかったら、助からない命がもっとあったかもしれない。三浦監督が守ってくれたようなもの」と伊藤コーチは話した。

 三浦元監督は最期に硬球を握りしめながら「練習…」と言って息を引き取った。長く看病を続けてきた玲子さんは「最期は自分に言葉をかけてほしかったけど…あの人らしいわ」と言った。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

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