復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

景色も校舎も変わるけど故郷への思いは変わらない…やっぱりここがいい

[ 2012年2月24日 06:00 ]

市民に勇気を与え続けた高田松原の「奇跡の一本松」。すでに存続不能と診断されたが澄み切った冬の空と美の競演

 高田高校新校舎再建計画が、このほどまとまった。校舎裏にある第2グラウンドの北側の山林に建設予定で2014年度末までの完成を目指す。春まだ浅い、あの3月11日から11カ月あまり。季節は一巡りし、春の気配が感じられる2月を高田高校野球部は過ごす。佐藤聖也内野手(2年)は陸前高田市に生まれ、陸前高田市に育った。野球と勉強に打ち込み、故郷の復興に貢献する日を夢見ている。

 佐藤は「心はブルーです」と言った。憂うつな気分、というわけではない。ユニホームのことだ。彼が卒業した高田小、高田一中、そして高田高校野球部のアンダーシャツは全て青が基調だ。「高田ブルー」という。

 「ずっと青だった。やっぱり地元が好きです」

 2月。球児にとって雌伏の季節だ。放課後になると大船渡市にある仮校舎グラウンドと、車で約30分の旧高田高校室内練習場の2グループに分かれて、汗を流す。佐藤は1メートル75、84キロ。右投げ右打ちで、長打力が売り物の一塁手だ。課題の守備力向上と、ドアスイングの矯正に励む。大好きなオリックス・T―岡田を参考に、ノーステップ打法に挑戦中だ。野球部に一塁手は5人。レギュラー確保は容易なことではない。「俺なんかまだまだ」と言う。

 陸前高田市高田町鳴石出身。内陸部だったために、震災で大きな被害はなかった。しかし、大好きな故郷を奪われた。母校の高田一中体育館は改修工事が終わった直後に震災に遭い、長く避難所として使われた。グラウンドに仮設住宅が建ったのは高田高校と同様だ。あれからもうすぐ1年がたつ。

 桜の季節、地元の酒造メーカー「酔仙酒造」の敷地で行われていた「陸前高田さくらまつり」は毎年の恒例行事だった。しかし、その酔仙酒造は津波で流され、一関市千厩町に場所を移して再起を目指す。

 盛夏の頃、海水浴客でにぎわった景勝地「高田松原」も壊滅した。復興のシンボルとされた「奇跡の一本松」でさえ、枯れた。

 例年10月に行われてきた「全国太鼓フェスティバル」は昨年はナゴヤドームでの開催を余儀なくされた。そして寒さに耐える冬――。季節は巡り、吹く風にはほんのわずかながら春の気配が交じるようになった。

 震災から1年を前に、高田高校新校舎の建設計画が固まった。達増拓也知事は岩手県議会2月定例会で、2014年度末までの完成を目指す方針を明言した。建設予定地は第2グラウンド北側の山林だ。旧校舎裏手に新校舎は建つ。計画では、県立高田病院や総合体育館を隣接させる。現在の野球部員が、新校舎で学び、汗を流すことはない。それでも「卒業したら進学したい。地元に帰ってきて、地元の役に立つ仕事ができたら」と話す。

 佐藤はある写真集を買った。美しかった故郷の姿や季節の行事などを写し取った写真集だ。「頭の中には、昔の光景はあるんですけれど…。やっぱり、手元に置いておきたい気持ちがあった」からだ。タイトルは「未来に伝えたい陸前高田 やっぱり、ここがいい」(陸前高田市・タクミ印刷)だ。

 やっぱりここがいい。故郷は今も心の中に健在だ。それを再び形あるものにするためには、何をしたらいいんだろう。佐藤は考えている。

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