復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

いまだ残る爪痕…不便な仮校舎での生活続く

[ 2011年8月19日 06:00 ]

津波の被害を受けた高田高校の校舎

 高田高校の校舎は、いまだ3月11日の爪痕が生々しく残っている。

 がれきの処理が進む陸前高田市の街中でひときわ目立つ校舎は、海から約1キロ離れているが、地上から10メートル以上ある3階にまで津波が押し寄せた。教室の中にまで車が押し流され)、床や天井には事務用品や教科書などが散乱=写真(3)。職員室のホワイトボードは3月11日の連絡事項が書かれたままだ=写真(4)。窓際のブラインドは折れ曲がり、浜風に吹かれる度に、鈍い金属音を立てながら揺れていた。

 校舎内にはお盆の期間中に市民が手向けたと思われる弔いの花束がささげられ=写真(5)、「復興」の2文字とはかけ離れた現実がまだそこにはあった。

 同市の復興計画は8日に素案が提示されたばかりで、11月をめどに策定される見込み。新校舎建設などの具体的な予定も決まっておらず、生徒たちはしばらく通学や施設面などで不便な仮校舎(旧大船渡農)での学校生活を強いられることになる。

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