復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

引退3年生 将来は故郷に貢献を それでも海で生きてゆく

[ 2011年10月14日 06:00 ]

航海士を目指す大和田寿(右)と仙台大に進学する木村は仮校舎内に置かれたボートの前で地元復興へ決意を新たに

 東日本大震災から7カ月。今夏で現役を引退した高田高校の3年生部員たちは、新たな一歩を踏み出そうとしている。7月の岩手大会で記録員としてチームを支えた大和田寿人は、海で生きることを決意。航海士を目指す。また副主将を務めた木村丈治は仙台大に合格。将来は地元に戻り、陸前高田市の復興に寄与したいという。被災した元球児たちのそれぞれの夢に迫った。

 荒れ果てた故郷のために一体、自分に何ができるのか――。今夏で現役を引退した3年生部員たちは、それぞれが自問自答を続けてきた。その中の一人、大和田寿が出した結論は、航海士になって陸前高田市の漁業再生に寄与することだった。

 「幼い頃から海のそばで育って、海っていいなと思ってきた。いつか自分が持ってきた魚をみんなに食べてもらって喜んでもらいたい。震災を経験してあらためてそう思いました」

 日本でも有数のカキの産地として知られる、陸前高田市の広田半島に囲まれた広田湾の近くで生まれ、漁師の父・哲也さん(39)とともに子供の頃から大海原に慣れ親しんできた。自分も海で生きていく――。漠然とそう思っていたが、その意を強くさせたのが3月11日の震災だった。被災地に運ばれる救援物資の物流の様子を見て「陸上だけでは物資を運ぶ量は限られる。船なら一気に大量の物資を持ってこられる。船の大切さがあらためて分かりました」という。

 父は船を流された。広田湾周辺の漁業再開のメドはいまだ立っていない。豊富な海産物や、船という生きる糧だけでなく、何より大切な大勢の人の命を奪ってしまったあの津波を見てもなお、大和田寿は海で生きる覚悟を決めた。「最初は怖いと思ったけど、津波で流された漁具を見つけるために海岸を歩いてるうちに慣れました」。野球で鍛えた強い精神力で、海に対する恐怖心をぬぐい去った。7日には航海士の資格を得ることができる、国立宮古海上技術短大を受験。現在は合格発表を心待ちにしている。「高田高校を応援してくれた人たちに恩返しがしたいです」と航海士になった暁には、陸前高田市の復興のためにひと肌もふた肌も脱ぐつもりだ。

 その大和田寿と小さい頃からの友人で、副主将としてチームを引っ張った木村は、AO入試で体育大学である仙台大に合格した。「自分はケガが多かったのでトレーナーになろうと思っていました。でも震災があって、今は地元に貢献できる仕事がしたい」と話す。

 現役時代、津波の被害が大きかった陸前高田市の沿岸部を何度もバスで通った。目を背けたくなるような惨状にも、決して目をそらさなかった。「この状態で野球をやってていいのかと思うと同時に、自分たちが現実を受け止めないと前に進めないような気がしたので」。生まれ育った地元はすぐには元通りにならない。今、何より考えることは自分がどのような形で地元の復興に貢献できるか、だ。それがおぼろげながら見えてきた。「自分は前よりも、もっと地元が好きになりました。だから何かの役に立ちたい。スポーツをする環境づくりをしてみたいんです」と目を輝かせる。

 被災地が真の復興を果たすには、10年以上の年月を要すると予想される。陸前高田市の若者に課せられる使命はとてつもなく重大だ。大和田寿も木村も、その使命を受け入れる覚悟はできている。

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