復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

震災から半年 高田高センバツへ夢つなぐ1勝

[ 2011年9月12日 06:00 ]

<大船渡東・高田>6回2死二塁、伊藤が先制打

 東北地方を中心に多くの犠牲者を出した東日本大震災は11日、発生から半年を迎え、津波で校舎が壊滅的な打撃を受けた高田高校が、節目の日に大きな1勝を手にした。同日、秋季岩手県大会沿岸南地区予選の敗者復活戦が行われ、先発・伊藤俊太投手(2年)が1失点完投勝利。打っても3安打3打点の大活躍などで大船渡東を4―1で下し、来春のセンバツへ夢をつないだ。被災地の希望として。そして何より自分たちの夢をかなえるため。23日開幕の秋季岩手県大会に臨む。

 普通の球児が味わうことのないような幾多の苦難を乗り越えてきた高田高校が、県大会への切符を手にした。安どの表情を浮かべる選手たちに佐々木明志(あきし)監督は熱く、そして真剣なまなざしで語りかけた。

 「ここで終わりじゃないぞ。おまえたちは人の生き死にを見たんだ。他のチームとは違う。間違いなく人間的に強くなってるんだから。これからもいろいろなものを背負ってやるぞ」

 負ければ県大会への道が断たれ、来春のセンバツ出場が絶望となる一戦。5回まで互いにゼロ行進が続いた。そんな重苦しい試合の均衡を破ったのは背番号10の先発・伊藤だった。6回2死二塁の好機に先制の右前打を放つと、1―1の8回2死一、二塁の場面では右翼線に決勝の2点三塁打。「振ったら(バットに)当たりました」と本人も驚く一打で勝ち越すと、投げても相手打線を1点に封じた。

 普通の球児が味わうことのないような幾多の苦難を乗り越えてきた高田高校が、県大会への切符を手にした。安どの表情を浮かべる選手たちに佐々木明志(あきし)監督は熱く、そして真剣なまなざしで語りかけた。

 「ここで終わりじゃないぞ。おまえたちは人の生き死にを見たんだ。他のチームとは違う。間違いなく人間的に強くなってるんだから。これからもいろいろなものを背負ってやるぞ」

 負ければ県大会への道が断たれ、来春のセンバツ出場が絶望となる一戦。5回まで互いにゼロ行進が続いた。そんな重苦しい試合の均衡を破ったのは背番号10の先発・伊藤だった。6回2死二塁の好機に先制の右前打を放つと、1―1の8回2死一、二塁の場面では右翼線に決勝の2点三塁打。「振ったら(バットに)当たりました」と本人も驚く一打で勝ち越すと、投げても相手打線を1点に封じた。

 半年前の悪夢。伊藤は「当時のことは思い出したくない」という。しばらくは津波が校舎に押し寄せるシーンが何度も頭に浮かんだ。さらに体調も崩した。4月中旬に患ったぜんそく。震災直後の陸前高田市は、町中にがれきがあふれていた。ほこりを大量に吸い込んだのが原因だった。

 当時は病院も機能していなかったため、母の運転する車で医師がいる避難所を回り、薬を求める日々が続いた。その影響で5月の春季大会は背番号1をつけながら登板することができなかった。「投げられないことがつらかったです」。順風だった野球人生が暗転しかけた。

 それでも震災を経験したことで得たこともある。以前は「よく動揺が顔に出ると言われていました」の言葉通り、内面の弱さが課題だった。それが震災後はピンチを迎えても動じなくなった。「余裕を持てるようになりました。震災を受けてからは“こんなのピンチじゃないな”と思えるようになりました」。あの惨事に比べれば…。多くのものを失った代わりに鋼の心を手に入れた。

 高田高校を取り巻く環境は依然として厳しい。グラウンドがないため、現在は町営住田球場を借りて練習するケースが多いが、仮校舎の旧大船渡農から20キロ以上離れているため、往復で約1時間30分かかる。佐々木監督や奥村珠久子(しゅくこ)部長が部員を車に乗せて仮設住宅まで送ることもある。それでも佐藤央祐主将はいう。「この日に勝ったというのは何かある。勝たせてもらった気がする。でも、まだ通過点。てっぺんを獲るまでは気を抜けない」

 センバツに出場するためには県大会で3位以内に入り、さらに東北大会でも上位に入ることが条件となる。はるかなる甲子園への道は険しい。震災から6カ月。高田ナインは半年間の成長をグラウンドで表現し、そして夢をつないだ。

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