復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

新生高田始動!花巻東倒してセンバツへ!

[ 2011年8月17日 06:00 ]

新チームがスタートし秋の大会へ向け気勢を上げる高田高校ナイン

 高田高校新チームの背景には雄星の存在があった――。今夏の全国高校野球選手権岩手大会で初戦敗退した高田高校は3年生が引退、新チームが活動を開始している。中心となる2年生の多くが入学を決意したのは09年夏の岩手大会準々決勝、高田高校―花巻東戦。菊池雄星(西武)擁する花巻東に3―5の熱戦を演じた試合を観戦したことがきっかけだ。東日本大震災の影響は尾を引くが彼らに悲壮感はない。来春のセンバツを目指す戦いは始まっている。

 東北地方では13日から初盆を迎えた。被害の大きかった岩手、宮城、福島の被災地では復興祈願の花火大会などが行われ、死者を弔うための灯籠流しも行われた。震災から5カ月余り。徐々にではあるが、悲しみに一定の区切りをつけるための行事が行われている。

 高田高校野球部も新チームが発足してから1カ月が経過した。自前のグラウンドには仮設住宅が立ち練習ができないため、各地を転戦する日々。依然としてハンデはある。それでも佐藤央祐主将は決然と言い切った。

 「もう5カ月たったし、そんなことは言ってられない。他のチームと同じです。チーム内で(ハンデを)言うやつもいないし、野球をやっている以上、震災は関係ない」

 新チームには前チームのレギュラー6人が残った。そのほとんどは中学時代に気仙地区選抜としてKボールの全国大会に出場した面々。佐藤主将もその1人だ。「あの試合をテレビで見て、公立に入って私立を倒したいと思いました」。あの試合とは09年夏の岩手大会準々決勝。高田高校は菊池擁する花巻東に3―5と惜敗したものの、互角の戦いを演じた。それを見て全国大会に出場したメンバー9人は高田高校への入学を決めたのだ。

 しかし3月11日にあの悪夢が襲った。佐藤主将は自宅を流され、一家で親戚宅に身を寄せた。4月上旬にはインフルエンザに感染。避難所でボランティアの医師団の治療を受け回復したが、体重は6キロ減った。だが「野球をやれることが当たり前ではないことは痛いほど分かっている。心から野球をやりたい、という気持ちはどこにも負けない」と気丈だ。

 エース候補の菅野海(ひろ)も花巻東戦を見て入学を決めた。「あの試合を見て地元で甲子園を目指せることが分かった。高田に入って私学、花巻東を倒したいと思った」。兄2人は仙台育英(宮城)に進み、ともに甲子園を経験している。自身も花巻東戦を見るまでは大いに迷った。加えて被災。それでも「津波の被害とかあって大変だったけど後悔はしていない」という。

 2年生部員は30人の大所帯。いわば高田高校の「黄金世代」ともいえる学年について佐々木明志(あきし)監督は「公立ではこういう年はなかなかない。勝負したいという気持ちは強い」と88年夏以来、2度目の甲子園を虎視眈々(たんたん)と狙っている。ナインは12日に、岡山での招待試合の後、甲子園を訪れ聖地の雰囲気をたっぷりと味わった。佐藤主将は言う。「あそこで野球をしたいという気持ちが強くなりました」

 17日には早くも始業式を迎える。甲子園では熱戦が展開されているが、高田高校は来春のセンバツに向けすでに歩み始めている。

 ◇高田高校―花巻東VTR 高田高校は2回に吉田のスクイズで先制。4回2死一、二塁では吉田の右越え二塁打で2点を追加した。高田高校打線を警戒した花巻東は、猿川に代えて5回からエース菊池雄星が登板。5イニングを投げ5安打無失点に抑えた。打線も1点を追う5回、川村が同点の右中間二塁打。さらに横倉の左前適時打で勝ち越し、花巻東が接戦を制して4強入りした。

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