復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

東北の被災者の光…平安願う「世界遺産」

[ 2011年11月24日 06:00 ]

毛越寺の藤里明久執事長(左)の法話を真剣に聴く高田高校ナイン

 東日本大震災から107日後の6月26日、平泉の文化遺産が「浄土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に登録された。01年(平13)に世界遺産暫定リストに登録されて以来、11年目での評価は東北に大きな光を注いだ。

 平泉は11世紀末、奥州藤原氏の初代・清衡が移り住んだことに始まる。戦乱の世を憂い、平泉を「仏の住む極楽浄土」にしようと考えた清衡が中尊寺を建立。その後、父の遺志を継いだ二代・基衡が毛越寺、三代・秀衡が無量光院を造った。松尾芭蕉は中尊寺金色堂で「五月雨の 降残してや 光堂」、毛越寺で「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」と詠み残している。

 今回の震災で、中尊寺や毛越寺の僧侶らも深く心を痛めた。被災地の寺院や遺体安置所に出向いて慰霊法要に参加。救援物資の運搬や炊き出しなどのボランティア活動も行った。毛越寺の藤里執事長は「平泉ができることは小さいかもしれないけれど、同じ東北、ひいては同じ日本として、平泉ができることもきっとある」と話す。

 震災直後の3月19日に中尊寺で行われた追悼回向法要では、山田俊和貫首が金色堂内陣の須弥壇(しゅみだん)の前に座り、僧侶が金色堂を取り囲む形で約1時間30分にわたり法要が行われた。また、法要の前後には普段突かれることのない「鐘楼の鐘」の音が聞かれた。これは、米中枢同時テロのあった01年暮れ以来の出来事だった。

 日本で16カ所目の世界遺産となってから、今まで以上に観光客でにぎわう平泉。「皆さん観光目的ではありますが、やっぱり何か被災地のためになりたいと思われているように感じます」と藤里執事長。奥州藤原氏が願った平安への願いは、1000年の時を超え再び平泉に託された。

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