復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

「覚悟」決めた佐藤央祐主将 伝えていくことが生き残った者の使命

[ 2012年3月10日 06:00 ]

練習前、ナインと円陣を組み声出しで気合いを入れる佐藤央主将(手前中央)。野球帽には花巻東に敗れた時の屈辱のスコア「9/24 11?1」が書かれていた 

 3月11日で、東日本大震災から1年となる。校舎が全壊し、グラウンドも失った岩手県の高田高校野球部。選手はハンデを抱えながらも、全国の球児と同じように甲子園を目指して汗を流してきた。新チームの先頭に立ってきた佐藤央祐(ようすけ)主将(2年)はこの1年間を振り返り、支援をしてくれた人々に感謝の思いを口にする。恩返しは、聖地の舞台に立つこと。主将は今夏の甲子園出場をあらためて誓った。

 忘れることなど決してできない、あの出来事から1年がたつ。不安、恐怖、葛藤…。さまざまな感情が湧き上がっては消えていく。そんな日々を送りながら懸命に前を向いて歩んできた佐藤央主将は、激動の1年間をしみじみと振り返った。

 「あっという間ですね。1年が早く感じます。たまに思い出したり、悲しい気持ちになりますけど…。生き残った僕たちはやっぱりあの震災を受け止めて、伝えていかないといけないと思います」

 昨年の3月11日は他の部員とともにグラウンドにいた。激しい揺れの後に、聞こえてきた大声。「津波が来た!」――。「その瞬間に、ああ家はダメだなと思いました。海が近かったので」。その夜は、グラウンドに隣接する室内練習場で避難住民と肩を寄せ合って過ごした。「1人だったら夜を越せなかったと思います。みんなといられたから良かった」。自宅は全壊。4月16日にチームは練習を再開したが、体重は6キロも減り、ユニホームが汚れると「どうやって洗濯しよう」という考えがよぎった。とても野球に集中できる環境ではなかった。

 新チームのスタートは昨年の7月17日。部員間の投票により、主将に選出された。掲げたスローガンは「覚悟」だった。「もう震災は言い訳にできない。覚悟を持ってグラウンドに出よう」。葛藤はあった。「みんないろいろな問題を抱えている。どの程度まで言っていいのか、どこまで求めていいのか迷いました」。それでも部員を鼓舞し続けた。時には厳しい言葉を投げかけたこともある。言わないで後悔するのが嫌だった。寝る前には必ず「きょうもやり残したことはないな」と確認してから眠りにつくのが日課。そうやって一日一日を全力で過ごしてきた。

 震災を経験したことで、おぼろげだった将来の方向性もはっきりと見えてきた。「前から漠然とは思ってたのですが、震災後に本格的に先生になろうと思うようになりました。野球を教えながら、この経験を子供たちに伝えたいです」。全国からの支援を得て野球をやれる喜び、感謝の気持ちを深く実感した。高田高校の生徒として今度は、その経験を伝える責任を感じている。

 あれから1年。全国へのメッセージを問われた佐藤央主将はこう答えた。

 「外から見れば自分たちのことをかわいそう、とか苦労してる、と見えると思いますが、こっちの人はみんな前を向いています。泣いて下を向いているわけじゃない。毎日、必死に元気に暮らしていることを伝えたいです」

 この1年間、何度もくじけそうになりながら、歩みを止めなかった。諦めない心なら他のどのチームにも負けない。「甲子園に出ることで恩返ししたい」。真夏。高田高校の「覚悟」を、その戦いぶりで証明する。

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