気がつけば40年plus2(34)1995年 オリックス初優勝を目前にしてイチローが見せたツッコミ

[ 2022年11月17日 16:30 ]

スポニチ1995年9月20日付1面最終版
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】記者生活40年を当時の紙面とともに振り返るシリーズ。しばらく休んでいる間に前回の投稿から2年経ってしまった。「plus2」をつけて再開させていただく。

 今回は1995年、阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸を興奮と感激に包んだオリックス初優勝。その立役者となったイチローが主役だ。

 「がんばろうKOBE」を合言葉にしたシーズン。オリックスは6月に首位に立ち、ゴールに向かってひた走った。大震災から246日目となる9月19日の西武ライオンズ球場。8―2で迎えた9回2死、守護神の平井正史(現オリックス投手コーチ)が吉竹春樹を一ゴロに取り、その瞬間がやってきた。

 ナインがマウンド付近に殺到する。イチローはライトの守備位置から全速力で駆けつけ、誰かの背中をジャンプ台にして歓喜の輪に飛び込んだ。仰木彬監督の体を宙に押し上げる。勝者の儀式を終え、ベンチに引き揚げてきてきた21歳のヒーロー。待ち構えていた記者に「今の気分は?」と聞かれ、声を弾ませた。

 「なんて言うのかなあ。グーッと締め付けられるような…。夏場のきついときに打つビタミン注射。そのビタミンをギュッとためて、一気に出したような…。こういう状況でプレーさせてくれた皆さんに大変感謝しています。優勝は自分たちの最終目標。だから頭の先から飛び出るような感激があります」

 そう、たまってたんだよねえ。公式戦9試合を残してのゴールイン。まだまだ余裕はあったけど、最後は思い切り焦らされたから。

 マジック2で迎えた9月13日、当時の本拠地・グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)の近鉄戦。5―4で勝ったが、2位のロッテも勝ってマジック1。胴上げはお預けとなった。

 担当記者から「ロッテが勝っちゃったね」と振られたイチローはこう返した。

 「“勝っちゃったね”という言い方は適当じゃないんじゃないですか。別に(ロッテが)負けることを期待してたわけじゃないですから」

 取材する側にもプロ意識を求め、ピント外れの質問には「それは違うんじゃないですか」と返すなど毅然とした態度を取る背番号51。囲みにいつもの緊迫した空気が流れたかと思ったら、一拍置いて――。

 「だったらゴーグル持ってくるなって」

 一人突っ込みである。

 「昔買ったやつです。水が入っても(目が)痛いんですから、ビールが入ったら痛いでしょ」と話したゴーグル。出番はなかなかやって来なかった。

 翌14日の近鉄戦は1―3で敗れ、ロッテはまた勝った。再びお預け。今度は取材陣を気遣ってくれた。

 「お通夜みたいですね。まだまだ(本拠地胴上げの)チャンスはあるんだし、そう深刻になる必要はないですよ」

 しかし…。15日からはマジック対象のロッテを神戸に迎えての3連戦。ひとつは勝てるだろうと思っていたら伊良部秀輝、小宮山悟、エリック・ヒルマンの強力3本柱にブルーサンダー打線が沈黙した。0―1、1―3、3―6。3タテを食らった。マジック1としてから4連敗で本拠地胴上げを逃したのである。

 遠征に出て初戦の19日、やっとたどりついたゴール。オリックス球団創設7年目にして初のリーグ優勝とは全く関係ないが、この日は私の40歳の誕生日だった。

 一夜明けた20日、同じ西武球場での試合前、オリックスの練習が始まる前だった。ビジターのロッカー前で思いがけずイチローと出くわした。

 上着のポケットには前日もらった大入り袋が入っている。「実は…」と言ってボールペンと一緒に差し出すと、イチローは快くサインしてくれた。

 「平成7年9月19日」のスタンプが押された大入り袋。中に入っていた100円玉はそのままにして部屋の壁にピンで止めてある。
 あれから27年。2001年に海を渡ったイチローは45歳までメジャーリーグでプレーし、3年前にバットを置いた。私の宝物。大入り袋自体は少し色あせてきたが、サインは今もくっきり見えている。

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年9月生まれの67歳。岡山市出身。80年スポーツニッポン新聞東京本社入社。82年から野球担当記者を続ける。2015年から特別編集委員。

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