【内田雅也の追球】中心選手にチーム引っ張る自覚求める、村山イズムの「幹部選手」

[ 2022年11月16日 08:00 ]

両手を広げて指示を出す岡田監督(撮影・椎名 航)
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 阪神にはかつて「幹部選手」という制度があった。古い話で言えば、1936(昭和11)年の球団創設初年度、監督は森茂雄でコーチなどいない。主将・松木謙治郎、主戦投手・若林忠志が幹部選手として選手を指導する立場にあった。

 戦後になってもコーチは1人か2人だった。52年11月16日、高砂高3年生の小山正明が甲子園球場で入団テストを行った際、監督・松木やコーチ・御園生崇男に加え<幹部選手の意見を総合し採用>と捕手・徳網茂が著書『捕手への誘い』(フォトにっぽん社)に記している。幹部選手は自身のほか梶岡忠義、真田重蔵、藤村隆男だった。

 昭和30年代、コーチの人数が増えると、幹部選手は指導的立場という色合いは薄れ、中心選手という意味合いが濃くなった。いつしか制度も消えていった。

 制度を再評価したのは69年11月、投手兼任で監督に就任した村山実である。1年目のキャンプ直前、70年1月31日、西宮市小曽根町のレストラン「ニュー紫」で開かれたコーチ会議で「幹部選手制度を復活させる」と宣言し、遠井吾郎、藤井栄治、安藤統夫、辻恭彦、山尾孝雄の5人を指名した。<選手とコーチのパイプ役><狙いは中心選手の自覚を持たすためだった>と著書『炎のエース』(ベースボール・マガジン社)にある。

 そんな村山イズムを思い出した。15日、安芸での秋季キャンプで監督・岡田彰布が大山悠輔、佐藤輝明、中野拓夢、伊藤将司、西純矢の5人を名指しし「先頭で引っ張っていけ」と命じた。直接的には、残り1週間となったキャンプでランニングの先頭に立ての意味である。さらには「中心選手としての自覚を持て」とのげきに聞こえる。

 キャプテン制には否定的な岡田だが、村山流の幹部選手制度には同調しているのかもしれない。座右の銘「道一筋」は元来、村山の言葉である。

 岡田自身、現役時代、選手会長としてランニングの先頭に立っていた。早大主将当時からリーダーシップに優れていた。阪神は本社・球団が安藤(慶大)、中村勝広(早大)、平田勝男(明大)、木戸克彦(法大)……と東京六大学の主将を「幹部候補生」として獲得してきた歴史がある。中心軸を定め、チームを動かす姿勢は伝統的と言える。幹部選手は必要なのだろう。=敬称略=(編集委員)

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